「額賀降ろし」の裏側は総裁選「闇仕合い」だ 平成研は会長交代で安倍3選支持の白紙化も

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吉田氏が求めているのは竹下総務会長の新会長就任だ。現在の額賀派は、「闇将軍」といわれた故田中元首相の下で権勢を誇った旧田中派を割って出て竹下派(経世会)を旗揚げし、総理・総裁の座を射止めた故竹下元首相が事実上の創業者だ。その竹下氏の後継者として選挙区を引き継いだ亘氏の会長就任を目指すのは、派閥の「先祖帰り」を狙ったものでもある。

吉田氏の背後には故竹下元首相の秘書から「参院のドン」となり、政界引退後も参院自民党に大きな影響力を保持する青木幹雄元党参院議員会長の存在があるとされる。青木氏はかねてから額賀氏の派閥運営には批判的とされ、同氏の総裁選出馬にも反対した経緯がある。

額賀氏は産経新聞の政治部記者から茨城県議に転身し、故田中元首相の側近だった故橋本登美三郎元党幹事長の後継者として中央政界にデビューした。故竹下氏の経世会旗揚げには率先して参加して頭角を現し、経世会分裂以降、総理・総裁候補を狙った中村喜四郎元建設相や鈴木宗男元総務相ら派内のライバルがスキャンダルなどで次々失脚した結果、政権交代選挙で自民党が下野した2009年9月に、当時の津島派(平成研)会長だった津島雄二元厚生相の政界引退を受けて後継会長に就任した。

額賀氏は1998年の小渕内閣で防衛庁長官で初入閣したが、防衛庁調達本部背任事件に絡んで参院での問責決議案可決で辞任に追い込まれた。さらに2001年に就任した経済財政政策担当相も金銭スキャンダルで辞任するなど政治的挫折が続いたが、政策通としての評価から2003年には小泉政権での党政調会長に起用されるなど改めて出世の階段を上り始めた。

その後の額賀氏は、2006年の「ポスト小泉」、2007年の「ポスト安倍」の総裁選で出馬に意欲をみせたが、派内の反対などで断念を余儀なくされた。このため、派閥領袖となった2009年9月以降は党内でも額賀氏を本格的な総理・総裁候補とみる向きは少なくなり、2012年暮れの第2次安倍政権発足後は派閥領袖としては唯1人、閣僚や党3役などの要職に就けないという悲哀を味わわされている。

元参院のドンが狙う「竹下派復活」

「額賀降ろし」ともみえる今回のクーデターは、額賀、茂木両氏らの安倍3選支持に対する派内の不満が、参院側の反乱という形で表面化したものだ。特に、首相の政権運営に批判的とされる青木氏は、身内同然の竹下氏を後継会長に就けることで、「復活竹下派」として9月の総裁選でのフリーハンドを握る狙いも透けて見える。

もちろん、会長交代で安倍3選支持を白紙に戻したとしても、派閥として誰を担ぐかの問題は残るが、現時点で吉田氏の念頭にあるのは党内反安倍勢力の旗手でもある石破茂元地方創生相とみられている。石破氏は額賀派に所属したこともある「元同志」(派若手)でもあり、ここにきて、平成研離脱と石破派旗揚げで悪化していた青木、竹下両氏との関係も修復され、竹下氏も昨年11月の石破派パーティで石破氏の総裁選出馬を後押しした経緯があるからだ。

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