「喜劇の時代」を生きるための哲学と民主主義

今、世界で最も注目される天才哲学者が語る

ですからおそらく本当の歴史は、始まりも終わりもない歴史、人類の無限の歴史は、私たちが神は本当に死んだと思ったときにしか、真の意味では達成できないのでしょう。

それにしても、どうしてこのような「悲喜劇」が続くのでしょう?

ドイツでもフランスでも、一般的に西欧の哲学が無力と思われるようになってしまった原因、その1つは、明らかに20世紀の2つの《力》、すなわち欧米的な資本主義と民主主義で最適化されているという考え方でした。このことにより人々は歴史の概念を信じることをやめてしまったのです。ですから、歴史について話せば、その人は直接あるいは間接的にヨーロッパの植民地支配の歴史に向き合うことになると、多くの人が思い込んでいます。

それはもちろん大きな間違いです。西欧の歴史の概念にまつわるあらゆる間違った推論の最もいい解説は、たとえば、マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙-サイレンス-』に見ることができます。そこでは、ポルトガルの神父が話すキリスト教徒が考える終末論と、日本人の考えるまた違った自然との関係の形との間で、対立が見られるのです。

自然や神との関係は、今、私たちが再考しているもう1つの事柄です。誰もが信心深い時代に私たちは生きています。宗教は終わると思っていましたが、こんなに人々が信心深い時代は、これまでにありません。

この世に幼稚な国家も大人の国家もない

歴史という概念の危機に対して哲学者は、それを規範性の概念に置き換えたのです。ヘーゲルが歴史哲学に関して啓発した人物として有名だと思われているかもしれませんね。コンドルセやルソーやヘーゲルが。これは、歴史は巨大な自動装置であるという考え方を擁護しているようなものなのです。それが「幼稚な」国家や大人の国家等に関する啓蒙でありファンタジーとなっているのです。この世に「幼稚な」国家も大人の国家もありません。なぜなら国家は動物でも人でもないからです。

これは単なる見当違いのメタファーだと言うべきです。歴史が自動的に展開するものであるということを信じなければ、歴史は……、きちんとヘーゲルの本を読めばこの点で彼が言ったことはまったくそのとおりだったと思うのですが……、彼はしばしば自分を表す際に言及されるようなデタラメな発言はしていなかったはずでした。ヘーゲルが確信していたのは、歴史がつくられるのは、彼が言うところの「自由の意識における進歩」があったときだけだということです。

では、自由とは何でしょう? 「自由」とは規則で律された行動で、受け入れる規則を認識していて、どうにもならないときは手放せるものです。たとえば、人々が奴隷制や帝国主義の継続をあきらめ始めたとき、その人々は自らの行動を、植民地における行動を決めていた規範が見当違いだったと理解したのです。それが歴史的瞬間で、自由の意識における進歩があった瞬間です。

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