
徳田氏にはすごく単純な上昇志向があった、と山岡氏は言う(撮影:梅谷秀司)
71病院、職員3万人を擁する日本最大の病院グループ「徳洲会」。一代で王国を築いた徳田虎雄氏は今、難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を患い手厚い看護下にある。米国統治時代の奄美群島・徳之島から本土へ渡り、怒濤の病院新設と政界進出にひた走った人生。聖と俗、理念とカネが渾然一体となったその軌跡を描く。『神になりたかった男 徳田虎雄』を書いたノンフィクション作家の山岡淳一郎氏に聞いた。
単純な白黒では語りきれない
──エピソード一つひとつが常軌を逸した、生命力の塊みたいな徳田氏個人に焦点を絞らず、あえて群像劇にしたのはなぜですか?
彼を取り巻く人間たちを描く中で徳田氏という異形の存在をあぶり出したかった。徳洲会がここまで巨大化したのは、彼のカリスマ性によるものだけではないはずと。
徳田氏本人は考えていた以上に振り幅の大きな人でした。とても純粋な面と闇の面の両極端、その間の幅広いグラデーションを一人の人間が内包している。単純な白黒では語りきれない。真空のように清も濁も吸い込み、巻き上げていくエネルギーは強烈です。
──徳洲会は「年中無休24時間開業」以外に、「保険3割負担を困っている人には猶予」「生活資金の立て替え・供与」を掲げました。ある意味、医療を超越してますね。
10代で捨てて離れた、貧しい徳之島に対する後ろめたさがあったと思います。徳之島のために生きなくてはという重い十字架を背負い続けた。だから、医療をもって徳之島に還元するというのが、彼の中で最大のモチベーションになったんでしょう。そもそも徳洲とは徳之島の意味。医療法人としてはそうとう変わったネーミングで、徳之島会という身もふたもない名前で創立したのは、故郷に対する思いの強さ。そういう聖の部分、純粋な部分は終始持ち続けた。
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