──医療改革を掲げて国政選挙に突進していく姿が強烈でした。でも政治に魂を奪われることなく、医療改革の理念は一貫していた?
即物的思考の彼には、医療“制度”に対する政策はなかった。4期衆院議員を務めた中で、医師偏在を解消せよとか医療問題への目立った提言はない。「医療はカネがかかりすぎるから合理化すれば安くあがる」と言う一方、「もっとカネを投じよ」とか矛盾だらけ。でも、医療空白地帯を徳洲会が全部埋めるという信念だけはあった。
──つまり徳田氏にとっての医療改革とは徳洲会の全国展開のみ?
そう、発想が直線的。各地への病院進出で地元医師会と闘い政治の重要さを思い知った。権力を持てば抵抗勢力をねじ伏せられる、行政に強く当たれる。選挙にのめり込むのと同時進行で、資金逼迫しながら一気呵成に病院を新設していく。彼の中では、選挙と医療過疎地をなくすという理念は一体だった。
──医療従事者たちまでが彼の選挙運動に動員される。みな共感し納得していたのでしょうか?
たぶん徳洲会の発展時期によって違ったでしょうね。1983年に初の国政選挙に出る直前、埼玉・羽生に病院を作った。このとき医師会の妨害に対しものすごい運動をしました。徳洲会の職員30人くらいが研修所に何十日か泊まり込んで、地元の賛同を得るため一戸一戸訪問するローラー作戦を展開した。これがその後の徳田氏の選挙運動にノウハウとして転用されていきます。徳洲会草創期の職員にとっては、日本中に病院を作るという物語を具体化するために選挙の手足となって動くことは、一つのレール上にあった。
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