医療界の怪人、徳洲会「徳田虎雄」の真の姿

怒涛の病院新設と政界進出にひた走った人生

──医療改革を掲げて国政選挙に突進していく姿が強烈でした。でも政治に魂を奪われることなく、医療改革の理念は一貫していた?

即物的思考の彼には、医療“制度”に対する政策はなかった。4期衆院議員を務めた中で、医師偏在を解消せよとか医療問題への目立った提言はない。「医療はカネがかかりすぎるから合理化すれば安くあがる」と言う一方、「もっとカネを投じよ」とか矛盾だらけ。でも、医療空白地帯を徳洲会が全部埋めるという信念だけはあった。

山岡 淳一郎(やまおか じゅんいちろう)/1959年生まれ。早稲田大学文学部中退後、出版社などを経て独立。近著に『気骨 経営者土光敏夫の闘い』『逆境を越えて 宅急便の父 小倉昌男伝』『後藤新平 日本の羅針盤となった男』『田中角栄の資源戦争』『日本はなぜ原発を拒めないのか』など(撮影:梅谷秀司)

──つまり徳田氏にとっての医療改革とは徳洲会の全国展開のみ?

そう、発想が直線的。各地への病院進出で地元医師会と闘い政治の重要さを思い知った。権力を持てば抵抗勢力をねじ伏せられる、行政に強く当たれる。選挙にのめり込むのと同時進行で、資金逼迫しながら一気呵成に病院を新設していく。彼の中では、選挙と医療過疎地をなくすという理念は一体だった。

──医療従事者たちまでが彼の選挙運動に動員される。みな共感し納得していたのでしょうか?

たぶん徳洲会の発展時期によって違ったでしょうね。1983年に初の国政選挙に出る直前、埼玉・羽生に病院を作った。このとき医師会の妨害に対しものすごい運動をしました。徳洲会の職員30人くらいが研修所に何十日か泊まり込んで、地元の賛同を得るため一戸一戸訪問するローラー作戦を展開した。これがその後の徳田氏の選挙運動にノウハウとして転用されていきます。徳洲会草創期の職員にとっては、日本中に病院を作るという物語を具体化するために選挙の手足となって動くことは、一つのレール上にあった。

しかし徳田氏がALSで引退し二男が地盤を継ぐころには、職員たちは「何で選挙運動をしなきゃいけないのか」と強く思ったでしょう。そして公職選挙法違反など一連の徳洲会事件が発火する。

ALSを患ってから一族の介入が始まる

──当初は公私のけじめを説いていたのに、組織巨大化の過程で集金装置としての関連会社を次々作り、要職に親族をすえる。一方で彼に尽くした右腕たちを切っていった。

自ら招聘したナンバー2の医師に対し、いつか自分に取って代わり、俺は徳洲会から完全に切り離されるんじゃないかという猜疑心の塊になる。ALSを患ってからは一族の介入が始まり、その絡みで事務方の最側近も追放する。多くの人から聞きました、徳田氏が病気になって徳洲会は変貌してしまったと。ある人が「ALSは非常につらい病気だけれど、ここらでもう一度医療に立ち返れ、という神様のおぼしめしだったのかもしれません」と言っていました。

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