さらに母の口癖は、こうだった。
「結婚なんてロクなもんじゃない。お父さんみたいな男と結婚したら、不幸になるだけ。いい大学に行って、ちゃんとした仕事について自立しなさい」
容子の家庭は、夫婦関係が崩壊していた。顔を見れば罵り合う父と母。不仲は年々悪化し、容子が小学校高学年になった頃には、まったく口をきかなくなり、中学に入る直前に別居をした。
容子は母と暮らすようになったが、6つ上の兄はこうした家族関係にうんざりしていたのか、大学入学と同時に独り暮らしを始めた。
「母との2人暮らしが始まると、干渉と束縛はより強くなりました。私はただただ勉強に打ち込むしかなかった」
優等生だった容子は、公立中から地元の進学校に進み、そこから最高峰の私大を目指した。ところがその受験に失敗。結局そこよりもワンランク落ちる私大に入学をした。とはいえ、そこは名前を出せば、誰もが知っている有名私大なのだが、母は容子に言った。
「あなたは、本当にお母さんをがっかりさせる子ね」
容子は、当時をこう振り返る。
「本当は1浪して、第1志望の大学に再チャレンジしたかったんです。だけど、浪人して翌年受かる保証はどこにもない。受からなかったら、母からまた何を言われるかわからない。それに、1つ年をとれば就職が不利になる。ならば、受かった大学に行って、そこでいい成績をとって、キチンと就職しようと思ったんです」
ところが、卒業時と就職氷河期が重なった。企業の新卒者採用枠は狭き門で、行きたかった企業の採用試験には軒並み落ち、結局は公務員となった。
「大学も就職も、行きたいところには行けなかった。もともと自信のない人生だったのに、さらに自信がなくなっていきました」
母の言葉の刷り込みとは、なんと恐ろしいのだろう。大学も就職も、不合格になるたびに、母からダメ出しをされる。第1志望ではなかったにせよ有名私大に合格したことも、就職氷河期に公務員になれたことも、本来なら胸を張って誇るべきことなのに、第2希望に甘んじた人生が、鉛のような劣等感となって容子の中に重たく沈んでいった。
恋愛しても、母の存在が邪魔をする
こうした環境の中で、恋愛をあえて遠ざけていた容子だったが、大学3年のときに、初めて好きな男性ができた。同じ大学の同級生で、一緒にご飯を食べたり、勉強をしたりする上田正一(21歳、仮名)だ。
「恋愛とまでいかなかったかもしれませんが、すごく気が合う人で、一緒にいると本当に楽しかった。ただ、大学が終わって夕方からのデートになると、帰宅する時間が気になって私がソワソワしだすんです。7時までに帰らないと母親の機嫌が悪くなる。一緒に晩ご飯を食べないと面倒なことになるって」
上田はそれをとても嫌がった。4年生になり就職活動が忙しくなってくると昼間はすれ違うようになり、夜は会う習慣がなかったので、自然消滅的に会わなくなった。
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