エルメスが「世界的ブランド」になれた理由 技術力だけでは取り残されていく

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エルメスは創業から170年以上のブランドだ(写真:ロイター/アフロ)  
技術力は高いものの、日本のアパレルブランドは世界的に認知されていません。世界的ブランドに求められる“技術力以外の要素”をあぶり出すべく、エルメスのフランス・パリ本社で日本人初の本社副社長となった齋藤峰明さんとの対談を行いました。
馬具工房からスタートしたエルメスはものづくりから生まれた世界的ブランドであり、その歩んできた道のりには日本のアパレル、ひいては日本のものづくりの未来にプラスとなるヒントが潜んでいました。

貴族たちは時代の流れに敏感

山田:エルメスが創業した1837年は、馬車が交通手段の主流でした。馬車から汽車、そして自動車へと交通手段が発展していく中で、時代に取り残された馬具職人は多かったのでしょうか?

齋藤:馬車から汽車への移行は大きなパラダイムシフトであり、多くの馬具職人は変化に対応できませんでした。時代に淘汰されていった職人やブランドは数知れません。鞍などの馬具を長らく作ってきて、いきなり需要がなくなったわけですから、「さあ、別のものを作ろう」とはそう簡単に切り替えられなかったのでしょう。

山田:その中でエルメスが時代に適合できた理由はどこにありましたか?

齋藤:使い手の存在は大きかったと思います。ナポレオン3世やロシア皇帝など、創業時からエルメスの顧客には貴族がたくさんいました。こういった特権階級の人たちは時代の流れに敏感です。「汽車で旅をするためにかばんがほしい」などの要望が寄せられ、それに応えていく中で馬具以外の製品を作るようになっていきました。

山田:それまで馬具で生かしていた技術力を、かばんや財布などの皮革製品に向けるようになったわけですね。

齋藤:腕時計や服飾品、香水などに関しても同じことが言えます。もちろんブランドとして時代の先を読む目もありましたが、世界的ブランドに成長できた理由はそれだけではありません。顧客と一緒に発展を遂げてきたと言ったほうが的を射ていると思います。

山田:ヨーロッパで馬車文化が衰退した時代、日本でも明治維新という大きなパラダイムシフトがありました。生活様式が激変したことで、ヨーロッパの馬具職人のように時代に埋没していった職人も多かったのでしょうね。

齋藤:着物はまさに顕著じゃないですか。それまではみんなが着物をまとっていたのに、突然みんなが洋服を着るようになったわけですから。

山田:職人にとっては信じられない出来事ですよね。あって当たり前だったものがいきなりなくなるという。意地やこだわりもあるでしょうし、適合は難しかったのでしょう。

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