そんな苦労の絶えない日々だったが、大学の授業に比べたらかわいいものだったという。
大学は9月に始まる1年度=3学期に加え、翌年度にもう1学期履修するプログラムを組んだ。4学期16カ月で合計1600時間、80単位の授業を受けることになる。しかし、単位の取得はどれも容易ではない。まず遅刻厳禁は当たり前で、無断欠席が3日以上続いたら学期内のすべての単位がなくなる校則があった。
すべての科目で「授業の積極的な参加」が評価の2割を占めるようになっているので、質問を投げかけたり解釈を発表したりする姿勢をサボると期末試験でそこそこの点数が取れても落第しかねない。留学生とて例外ではなかった。
「しかも、大抵は教科書がなくて、板書きもほとんどしてくれないんですよ。ずーっとしゃべってる。OHP(オーバーヘッドプロジェクター)を使う授業だと、どう考えてもそれだけじゃわからないような資料がサラッと投影されるだけだったり」
いったんついていけなくなると、2週間に1回の小テストで深刻なダメージを負い、たちまち単位取得に暗雲が立ちこめる。もう必死だった。講師の話は一言一句漏らさず受け取り、とにかく集中してその場でノートに要点をまとめていった。
語学学校や日常的な反復学習の甲斐あって入学前からリスニング能力が高いレベルに達していたからこそできた技だ。OHPシートからは出典を調べあげ、大学の書店や近所の古書店で資料を見つけて丸暗記した。プリントが配布された場合も同様だ。学生の間にはひそかに過去問が回っていたが、留学生の立場では知りようがなく、すべての授業を正面突破していくしかなかった。
授業は1日8時間だが、2学期に入るとそれとは別にエンバーミング実習も加わる。大学の医学部や市の検死局などに出向いて5~6時間かけて処置をするため、実習がある日は1日の残りが10時間程度となる。そのうち5~6時間を勉強に当て、睡眠は4時間とれればいいという日々。実習がない日はその分が勉強の時間になるだけ。家族との時間は学期間の短い休暇くらいしかとれなかった。
「初めて処置したときのことはよく覚えています。教官に言われてご遺体の右鎖骨上を小切開したら、まったく出血がなくて。『そうか心臓動いていないんだよな……』と思わず口から出ました。もうとにかく緊張していましたね」
見返りは小さくなかった。2学期になってスピーキングが見違えて上達し、授業中の発言がまったく苦にならなくなったという。期末試験で満点をとることもザラで、クラスメイトにノートを貸してと頼まれることも日常茶飯事。元々手先が器用だったこともあり、エンバーミング実習は経験を重ねるごとに精密さを増していく。気づけば圧倒的な優等生になっていた。
留学生には大打撃の事実、新たな試練が…
壁を乗り越えたあとの勉強は、相変わらず大変ながらもはかどった。ところが、3学期に入ったとき新たな試練が頭をもたげる。ペンシルベニア州では米国国籍を持たない人はエンバーマーのライセンスを得られない。小テストの設問にそう書いてあるのを見つけた。学長も知らなかったくらい細かな条項だが、留学生には大打撃の事実だった。
米国のエンバーマーのライセンスを得るには、まず全米の国家資格であるフューネラルディレクターを取得する必要がある。そのうえで、州ごとに定められた条件を満たすことが求められる。葬儀社に勤めて一定期間実地研修することでライセンスが得られる州が多いようだ。ただ、条件に米国国籍が絶対条件の同州にいては、日本人は永遠にエンバーマーになれない。となると、国籍を問わない別の州で葬儀社に就職して経験を積む必要が出てくる。
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