50歳「遺体保全」に懸ける男が突き詰める本質 悲嘆に寄り添い、幾多の難関に正面から挑む

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条件に合う州はカリフォルニア州やニュージャージー州、ハワイ州などいくつかあった。それらの州のうちで日系人が多い地域の葬儀社に絞り、片っ端から履歴書を送り、電話をかけた。その数は優に200社を超える。

「結局7年間留学していましたが、なかでもこの時期がいちばんストレスを抱えていました。どれだけ履歴書を送っても返事がいっさい来ないんですよ。米国は、僕が就職したら別の誰かが首を切られるという世界。その首を切られる候補の人が履歴書を受け取るものだから、決定権を持つボスには行かずにシュレッダー送りになるわけです。そんな構造、当時は知らなかったのでもうただただ苦しかったですね。自分じゃどうしようもできない」

「留学する当初は7年間も過ごすなんてまったく思っていなかったです(笑)」(撮影:村田らむ)

同州の葬儀社なら大学のコネや名前でどうにかなったかもしれないが、州をまたぐと外国と同じ。ようやくカリフォルニア州の葬儀社に就職が決まるまでには、大学を離れてから丸2年を要した。同州では勤務先のエンバーマーの下で2年間実地研修し、学科試験をパスすることでライセンスが得られる。

雇い主はエンバーマー見習いを薄給でこき使える人員とみなすタイプで、橋爪さんは昼夜問わずの搬送車での遺体のお迎えから各種申請書類の作成や提出など何でもやらされた。ライセンス取得のために耐えたが、期限が迫っている専門職ビザ(H1-B)の申請を(脱税がバレるのを恐れて)拒み続けられたため、1年経って転職を決意せざるをえなかった。仕事にも慣れて、同僚と別れなければならなかったことは残念だったが、決断する以外になかった。

「尊敬される」フューネラルディレクター

ところが、今度の就職活動はあっさりと終わった。同州での実務経験があったのと、後述するように大学院で心理学を学んでいたのが大きかったらしい。2つ目の葬儀社は橋爪さんを1人の人間として接するタイプのスタッフばかりで、近隣住民からも尊敬されているのが肌でわかったという。

『エンバーマー 遺体衛生保全と死化粧のお仕事』(橋爪謙一郎著/祥伝社)(筆者撮影)

「日本では、よく米国の葬儀社スタッフ(フューネラルディレクター)は尊敬の眼差しで見られていると説明されますが、あれは半分違います。尊敬されている人もいれば、毛嫌いされている人もいる。職種ではなくて、人柄や仕事で見てくれるというのが正解です」

橋爪さんもまた、周囲の人たちに尊敬を持って迎えられたのを覚えている。遺体搬送の際にベッドから安置所まで丁寧に付き添っていると、いつしか界隈の病院で評判が広まって声をかけられるようになった。地域の日系人の人たちからは「ケンがいてくれるから俺たちは安心だ」と言ってもらえたりもした。

そうして2年が経った2001年1月、ついにエンバーマーのライセンスが橋爪さんのもとに降りてきた。

エンバーマーのライセンスは留学生活の終わりを意味している。地域になじんでいた橋爪さんは一時期「いっそこのまま永住しようか」とも考えたというが、この頃にはすでに日本に戻る決意を固めていた。

遡ること半年。カリフォルニア州に日本の葬祭事業者たちが視察に来たとき、通訳兼案内役を買って出たことがある。一団と言葉を交わしながら、「ああ、日本の葬祭業はこうやって変わりつつあるんだなあ」と実感した。少子化や高齢化が進み、家族の形も変わっている。

そのなかで求められる葬儀の姿は何か、と皆が真剣に考えている。その一方で、米国の葬儀業界に身を置く橋爪さんから見たら、足りないと感じる部分は多々あった。だからこそ、自分がやれることがあるんじゃないかと強く思えた。日本に戻って後進を育てよう。エンバーミングの技術はもちろん、「尊敬される」フューネラルディレクターの本質も伝えたい。

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