50歳「遺体保全」に懸ける男が突き詰める本質 悲嘆に寄り添い、幾多の難関に正面から挑む

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「父はNFDA(全米フューネラルディレクター協会)の米国研修旅行に参加したんですが、そこで目の当たりにしたエンバーミングの技術がすごかったそうなんです。最初はちょっと腐敗臭がしているご遺体があったそうですが、処置を施していくうちに臭いがしなくなって、見た目もきれいになって、苦悶の表情を浮かべていたのが安らかになっていったというんですよ。それはもううれしそうに熱弁して。こういう父もいるんだなって、不思議な気持ちになりましたね」

その興奮のまま、父は息子に米国でエンバーミングを学ばないかと勧めてきた。

もともと家業を継いでほしい思いがあることは知っていたが、これまで父が自分の進路に口出しすることはいっさいなかった。厳しいながらも、学ぶことと働くことに関しては一貫して子供の意思を尊重してくれる。その父が現職を辞めて、何年間か留学してこないかと誘っている。留学中の最低限の生活費は父の会社でまかなってくれるとまで言っている。橋爪さんの心は揺らいだ。

「さすがに即答はできなくて1~2週間考えました。最終的に行くことに決めたのは、まだ日本でマスターしている人がほとんどいない技術をモノにできるのは面白そうだと思ったのが大きいです。今逃したら2度とこのチャンスは巡ってこないという思いもありました。あと、あの父にあそこまで言わせる技術なら絶対に何かあると確信めいた感触もありましたね」

突然辞意を表明された上司は驚いたが、理由を話したら理解してくれた。ぴあでの仕事は楽しかったが、「就職して3年目で、生意気ながら、ひととおりのことをやりきった感があったんですよね」とのことで、タイミング的にも区切りが付けやすかったところもある。翌月末に退職届を提出した。

ピッツバーグに留学

エンバーミングが学べる大学に留学して卒業するのに早くて1年。その後の実地研修を経てエンバーマーのライセンスが取れるのも早くて1年――それだけの期間帰ってこない決意をし、当時付き合っていた女性との結婚も決めた。

父親の研修旅行の伝から、留学先はペンシルベニア州にあるピッツバーグ葬儀科学専門大学に決まった。年が明けた1994年に渡米すると、学長自らが出迎えて、英会話能力も留学の知識もほとんどない橋爪さんを手厚くサポートしてくれた。下宿の手続きを手伝ってくれたのも学長だ。しかし、大学にとって初の留学生だったため事務的なノウハウはなく、学生ビザの申請に必要な書類はなかなかそろえてくれなかった。そこで、新年度が始まるまでの間に語学学校に通うことにする。

「ビザ関連のノウハウがある語学学校で書類をそろえて、それを大学側で書き換えてもらうことにしたんです。英会話も学べて一石二鳥ということで(笑)」

これでどうにかビザは間に合いそうだが、まだ“足”がない。学長からはクルマがないと生活できないと教えてもらったが、州の運転免許の取り方がわからなかった。そのうち、ピッツバーグに留学した日本人に代々伝わるコミュニティ誌があるらしいと知る。夫婦でどうにか持っている人を見つけ、ようやく免許が手に入った。インターネットが普及する前の時代はニッチな情報はなかなか入ってこない。

奥さんも海外経験はなく、夫婦2人で手探りの日々。日本人の舌に合う食材もクルマで片道5時間かけてワンシントンD.C.まで行かないと買えなかった。父の会社からの仕送りとぴあ時代の貯金があっても、もちろんぜいたくは望めない。

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