藤井四段と羽生善治「超天才」を育んだ共通項 あの「ひふみん」も導いたのは母親だった

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藤井四段の計り知れない才能と強さについて、「将棋の神の子」「100年に1人の天才」などの表現で絶賛する声がある。ただ将棋の星の下に生まれて最初から強かったわけではない。何かの偶然によって、才能が芽吹いたといえる。

藤井は5歳のとき、祖母から将棋を習った。駒の動かし方しか知らない祖母と指してみると、すぐに勝てるようになった。祖母より少しは強い祖父にも勝った。何事も負けず嫌いだった藤井は、勝つことのうれしさで将棋にのめり込んでいった。

実は同じ頃、祖母から囲碁も習った。祖母と打ってみると、将棋と同じく初心者なのに勝てなかった。藤井が祖母との将棋で負けていたら、または祖母との囲碁で勝っていたら、藤井はどちらに興味を持っただろうか……。

将棋のよさを理解している母親がいる

人生では、ふとしたきっかけで方向性が定まることがある。藤井の場合、祖母と祖父に勝ち続けたことで将棋の世界に進んでいった。その後、藤井は棋士養成機関の「奨励会」に10歳で入会した。月2回の例会日には愛知県の自宅から大阪・福島の関西将棋会館まで、母親がいつも付き添った。そんな日々が小学校を卒業するまで続き、親子は勝負の明暗をともに分かち合った。

昨年6月に63年間に及んだ現役棋士生活を終えた加藤一二三・九段(78歳)は、1958年(昭和33年)に18歳でA級八段に昇進して「神武以来の天才」と呼ばれた。その加藤は5歳のとき、近所の子どもたちが将棋を指しているのを見て自然に覚えた。

次兄や子どもたちと指してみると、ほとんど負けなかった。やがて勝ってばかりで面白くなくなり、ほかに相手もいないので将棋をやめてしまった。それから数年後、加藤は新聞の将棋欄の記事をたまたま読んで将棋の面白さに引かれた。それを知った母親は、将棋愛好者が集まる近所の将棋クラブに「行ってみたら」と加藤に勧めた。結果的に母親のその一言がきっかけとなり、加藤は将棋への世界に進んでいった。

羽生竜王は6歳のとき、近所に住む小学校の同級生のTくんに将棋を習った。当初はなかなか勝てなかった。七夕の短冊には「Tくんに勝てるように……」と願い事を書いた。やがてTくんに勝てるようになったが、Tくんは父親の転勤によって転校した。将棋の相手を失った羽生は、仕方なく母親や妹と指したが、まったく勝負にならなかった。羽生は勝勢になると将棋盤を逆にして敗勢側に回ったが、それでも勝ってしまった。

ちなみに今年の正月にNHK・BSで放送された「一・二・三!羽生善治の大逆転将棋」という番組の中で、プロ公式戦の投了局面から羽生が敗者側を持ち、愛棋家著名人が勝者側を持って指すというコーナーがあったが、羽生の前述のエピソードを基にした企画だった。羽生は小学生の頃、週末に母親に連れられて地元の繁華街に出掛けたが、とても退屈な思いをした。そこで母親は買物をしている2時間ほど、託児所に預けたつもりで将棋クラブで指させることにした。そんな日々が続くうちに羽生は驚異的に強くなり、将棋の世界に進んでいった。

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