藤井四段と羽生善治「超天才」を育んだ共通項 あの「ひふみん」も導いたのは母親だった
拙著『伝説の序章──天才棋士 藤井聡太』でも詳しく解説しているが、藤井四段、加藤九段、羽生竜王が将棋を始めたり、棋士を目指していたりする頃のエピソードに共通するのは、母親の考えや行動の後押しだ。
以前は、将棋好きの父親が子どもに教えるケースが多かった。現代では、将棋のよさを理解している母親が子どもに奨励することが多い。東京・千駄ヶ谷の将棋会館の道場では週末、多くの子どもたちが将棋を指しているが、付き添いの保護者は大半が母親である。子どもが将棋に興味を持ったり強くなったりするには、母親の存在がとても大きいといえる。
羽生竜王は昨年12月、竜王のタイトルを通算7期獲得して「永世竜王」の称号を取得した。すでに取得している名人・王将・王位・棋聖・棋王・王座の永世称号を合わせると、「永世七冠」という前人未到の偉業を達成したことになる。私はメディアの取材に答えて、プロ野球の打者が「三冠王」を7回獲得(最多の事例は3回)したことに相当すると表現したが、実際には一口ではとても言い表せない。
政府は1月5日、永世七冠を達成した羽生竜王に「国民栄誉賞」を授与すると正式に発表した。羽生は1989年(平成元年)に竜王のタイトルを獲得して以来、現在まで通算のタイトル獲得は最多記録の99期を数える。28年間にわたる長年の蓄積した実績が評価されたといえる。
羽生は1996年2月、すべてのタイトルを独占して「七冠制覇」を達成した。しかし5カ月後に棋聖のタイトルを失って一角が崩れた。その後、四冠と三冠の時期が長く続いた。羽生は七冠の可能性を問われたとき、「正当な競争原理が働けば難しいと思います」と率直に語ったものだ。勝負の厳しさについて、羽生本人が強く認識していた。
昨年の秋には、若手棋士に敗れて王位と王座のタイトルを失い、ついに一冠に後退した。羽生の不調説や限界説まで取りざたされた。しかし心機一転して巻き返し、竜王のタイトルを奪取したところに羽生の強さとすごさがある。
自分が知っているのはほんのひとかけら
羽生は昨年の「NHK紅白歌合戦」の番組の中でビデオ出演した。司会者を務めたタレントの二宮和也との短い会話の中で、羽生は「初心忘るべからず」という言葉を口にした。一般的には、物事に最初に取り組んだときのひたむきな気持ちを忘れてはならない、という意味である。棋士の場合、四段に昇段して晴れて棋士になったときかと思う。
しかし羽生の語り口からは、必ずしも昔のことに限らない、というように聞こえた。もしかしたら永世七冠を取得した現在が、新たな起点と考えているのだろうか……。
羽生は永世七冠の記者会見で「将棋は深くてまだわからないところがあり、自分が知っているのはほんのひとかけら」と語った。それは謙遜ではなく、さらに進化を目指していく探究者の決意かもしれない。当面の目標としては、100期目のタイトル獲得、大山康晴十五世名人が持っている歴代最多勝利(1433勝)の記録更新が現実味を帯びている。
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