広報を担当する下山茂さんが、この東京ジャーミイが代々木上原の地に建立された歴史を語ってくれた。
「東京ジャーミイの建設以前、ここにあったモスクは、東京回教礼拝堂と呼ばれ、名古屋、神戸に続き、日本で3番目に建設されたモスクでした。そのモスクを作ったのは100年前のロシア革命を逃れて日本に来たタタール民族たちです。
建設には日本政府も協力
モスクを設立するにあたっては、日本政府と軍部の協力がありました。当時の日本で一番恐れられたのは共産主義という思想が国内に入り込むことでした。そのために中央ユーラシアにいた何億人というイスラム教徒の協力を得ようとした。そこで当時の日本財界に呼びかけ、三井、三菱といった財閥から資金や土地の提供を受け、モスクをこの地に建設したのです。この場所は以前、日本を代表するような商船会社の社長の所有する土地でした。このモスクができた背景には、当時の日本政府のそんな政治的思惑があったのです」
建物を外から見ると、ドーム脇の「ミナレット」と呼ばれる高い尖塔が目立つ。これは、モスクがここにあるというランドマークの役割をするものだとか。
「モスクというものは、学校、病院、市場といった人間の生活上必要な公共的な施設の真ん中に建設されるものなのです。日本の仏教寺院は僧侶の修行の場でもあるので人里離れた山の上にあったりしますが、モスクは1日5回人々が礼拝をする場所。そして学校、病院、食堂、シェルターといった役割も果たしている。誰もに門戸を開いている場所なのです」と下山さんは語る。
イスラム教に触れる機会が少ないため、モスクには信者でなければ入ってはいけないのではと思っていたが、ここはそんな開かれた場所だったとは。今回、礼拝に立ち会い、その礼拝堂の建築を見たことで、イスラム文化の深遠さを改めて感じた。
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