悲運のエース、伊藤智仁は「幸運な男」だった 記録より「記憶」に残る男のヤクルト人生とは

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人とは違う緩い肩関節を持っていたこと。出身の花園高校が強豪校ではなかったので、高校時代に肩を消耗しなかったこと。社会人野球の三菱自動車京都時代の先輩・永田晋一が快くスライダーを伝授してくれたこと。当時の日本代表監督・山中正竹というよき理解者に出会えたこと。バルセロナ五輪で野球競技が正式採用されていたこと……。

あるいは、ヤクルトという球団に入ったこと。野村克也監督の下で野球を学んだこと。古田敦也という希代の名捕手とバッテリーを組めたこと。「酷使」としか表現できないほどの登板機会を与えられたこと。アメリカに渡って、日本とは違うリハビリを体験し、学べたこと。いい仲間に恵まれたこと。度重なる故障の結果、身体に対する意識が高まったこと。世間が勝手に「悲運のエース」というイメージを持っていること……。

決して「悲運のエース」ではなかった

これまでの人生のありとあらゆることが「ラッキーだった」と彼は考えている。世間では相変わらず「悲運のエース」「悲劇の好投手」というイメージが定着しているにもかかわらず。 彼は、決して「悲運のエース」ではない。むしろ「幸運な男」なのだ。

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伊藤智仁は改めて言う。

「僕はラッキーですよ。世間の人が、自分のことを『悲運のエース』という目で見ていることは知っていますけど、僕自身は全然悲運だとか、不幸だとか考えたことはないです(笑)。でも、こうやって世間の人々が、今でも自分のことを話題にしてくれることは嬉しいですよ。まさに、ラッキーだと思います(笑)」

2017年シーズンを最後に、25年もの間袖を通していた「Swallows」のユニホームを脱ぎ、2018年からは独立リーグであるBCリーグ・富山GRNサンダーバーズの監督を務めることが決まった。

伝説の投手として語り継がれてきた「幸運な男」の第二章はまだ始まったばかりだ。

(文中敬称略)

長谷川 晶一 ノンフィクションライター

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はせがわ しょういち / Shoichi Hasegawa

1970年東京生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経て2003年にノンフィクションライターとして独立。以後、主にスポーツ(特にプロ野球)やサブカルチャーをテーマに数多くの著作を刊行。2005年から12球団全てのファンクラブに入り続ける「12球団ファンクラブ評論家(R)」としても知られる。

近著に『正しすぎた人 広岡達朗がスワローズで見た夢』(文藝春秋)『神宮球場100年物語』朝日新聞出版)『道を拓く 元プロ野球選手の転職』(扶桑社)『海を渡る サムライたちの球跡』(扶桑社)『プロ野球アウトロー列伝 異端の男たち』(大洋図書)『決断ーカンボジア72時間ー』(主婦の友社)など。

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