悲運のエース、伊藤智仁は「幸運な男」だった 記録より「記憶」に残る男のヤクルト人生とは
彼には、世間の評価や興味を客観視できる冷静な視点があった。あるとき、11年間の現役生活について尋ねると、彼はそっけなく言った。
現役時代はたいした成績でもない
「11年間の通算成績? 別にたいした成績でも何でもないですよね。たいして試合数も投げていないし、勝ちもしていない。(ヤクルトで活躍しているピッチャーの)石川(雅規)や館山(昌平)に比べたら、まったくたいした成績ではないです(笑)。正直言えば、“ケガがなければもっと投げられたな”とか、“もっと投げたかった”という思いはあります。でも、これが限界でしたね。だから、トータルで見ればまったくたいした成績ではないし、たいした選手でもなかった。それが僕の現役生活です」
さらに、僕はこんな質問を投げかける。
――どうして、世間は「伊藤智仁」という投手について、ある種独特な感情を抱きながら、「悲運のエース」と、今でも語り続けるのだと思いますか?
世間の評価の理由を本人に聞く。愚問かもしれない。それでも、本人は世間の評価、自身に対するパブリックイメージをどう思っているのか知りたかった。しばらく考えた後に、伊藤は口を開いた。
「おそらくね、デビューが鮮烈だったから、世間の人たちは“ケガさえなければもっとできたはず。本当に惜しかった”と思っているんだと思います。でも、僕自身はまったく正反対の考えなんですけれどね……」
伊藤の口元からは白い歯がこぼれる。
「……もしも、故障をしなくてそのまま投げ続けていたとしたら、たぶん打ち込まれて成績はもっと悪くなっていたはずです。でも、結果的にそこまで投げることはできなかった。だから、世間の人は『いい想像』をしてくれているんだと思います。打たれるイメージは持たずに、抑えるイメージだけを持ち続けてくれるんです。そのまま投げ続けていたら、確かに勝ち星は増えるだろうけど、負け数も当然もっと増えるし、防御率はさらに悪くなるはずなのにね……」
相次ぐ故障……。出口の見えないリハビリ生活……。どんなに辛い場面を尋ねてみても、伊藤は常に軽やかな口調で当時の思い出を語っていた。当初は「時間の経過が辛い思い出を和らげてくれたのだろう」と理解していた。
しかし、彼にはそもそも他人がイメージするような悲壮感は少なかったのだ。どんなに困難な状況を語っているときでも、彼はしばしば「ラッキー」と口にした。
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