日銀券が強制通用力を失うと何が起きるのか 読み切り小説:法定デジタル通貨

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男が店に入ってきて、真っ直ぐに奥に進み宮崎の隣に座った。そして、前に立ったこの店のマスターにカクテルをオーダーしてから、言った。

「ミヤさん。とうとうお札がなくなるのですね」

「銀ちゃん」と、宮崎は男をあだ名で呼んだ。男の名を知らず、元銀行員であることから安易にその呼び方で呼んでいる。「この国も末だ。私のようなアナログ人間は死ねということか」

1年前、政府・日銀は法定デジタル通貨"eエン"を導入した。併せて日本銀行券と政府発行の硬貨は法貨としての地位を失い、1年のあいだeエンと円とは等価での交換が約束されていたのだが、その交換期間が先頃終了した。

「相変わらずeエンは使わないのですか」

「私はパソコンもスマホも使わないからな」

そう言って、宮崎はバーボンの水割りのグラスをなめた。

「電子端末がなくてもデビットカードやクレジットカードを使ってeエンでの決済ができるじゃないですか」

「決済通貨がeエンに切り替えられて、円で決済できなくなったからカードはすべて解約した」

「それは不便でしょう。まあ日銀券が使えるところは多いから死ぬことはないでしょうけど」

日銀券が法貨ではなくなったということは、すなわち強制通用力を失ったということだが、保有や使用が禁じられたわけではなく、取引の相手が日銀券での支払いを承諾するのであれば引き続き日銀券で支払いをすることができる。

街の飲食店で円を使えなくなるのも時間の問題

「eエンと円との等価交換が終わると同時に使える場所が一気に減ったよ。円ではバスや電車には乗れない。大手コンビニやスーパーも6カ月以内にeエンしか受け付けなくなるそうだ。街の飲食店で円を使えなくなるのも時間の問題だろう」

「電気代とか水道代とかはどうやって払っているんですか」

「払込用紙でコンビニ払いだよ。コンビニで円が使えなくなったらどうするかね。まるで備中高松城の水攻めだな。政府はアナログ人間のライフラインを絶って落城を待っているんだ」

マスターがカウンターのうえにカクテル・グラスを置きながら、

「最後はここへ逃げこんでください。うちはずっと円でもいいですよ」
と言った。宮崎は瞳だけを動かしてマスターを見上げて、

「しかしこれから円の価値は不安定になるぞ。eエンとの相対価格が日々動くようになる。それでもいいのか」

マスターはほほ笑み、

「じゃあ、日々のレートで計算して円で払っていただけるようにしますよ。面倒そうだけど、なんとかしましょう」

銀ちゃんが言った。

「eエンを使わないというのはミヤさんが自分で決めたことで、ミヤさんの問題はeエンを使いさえすれば解消するのだからまだいいですよ。僕なんかはeエンのせいで職を失ったのですからね。ずっと深刻ですよ」

フィンテック、すなわち金融面での技術革新により銀行は現金関連業務や資金決済など伝統的に担ってきた業務が大きく減って、支店網や人員の大幅縮小を実施した。銀ちゃんはそのために職を失ったのだ。

「eエンの導入がなくてもメガバンクは人員を大幅に減らさなくてはならなかった。いずれにしてもクビになっていたさ」

次ページ資金の流れが完全に透明になれば…
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