学校教育では「本当にデキる」人間は育たない 基本を学ぶなら午前中だけ行けば十分だ

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──職人気質で寡黙だった。

耳がいい男だったようだが、現代風に言えば発達障害だったのだと思う。音に対してはものすごく長けていたが、対人関係は得意でない。物を作らせたらすごいぞという人は昔からたくさんいた。彼らは必ずしも職人になれといわれたから職人になり、そして職人気質になったのではない。もともとそういう気質だったから職人になったらすごい仕事をする。

父は戦後テレビができたときに、大阪の日本橋の電気街に行って設計図を見つけ部品を買い、仕事から帰った後にはんだ付けからテレビを作った。完成前はブラウン管に映るかどうか1週間ぐらい家で調整したから、その間、家族はテレビが見られた。頼まれて市価の4分の1の値段で数十台は作ったようだ。

仕事ができる人間と学歴は関係がない

汐見 稔幸(しおみ としゆき)/東京大学名誉教授。1947年生まれ。東大教育学部卒業、同大学院博士課程修了。専門は教育学、教育人間学、育児学。育児や保育を総合的な人間学と位置づけ、その総合化=学問化を自らの使命と考えている。2007年から現職。同短大学長も兼務(撮影:梅谷秀司)

──人には得手不得手があると。

もともとそう。誰もがそんなにいろんなことができるわけではない。むしろ可もなく不可もなしのことをいっぱいやり、満遍なくできる人間ほどつまらないものはない。それより、こっちは苦手だが、これをやらせたらすごいという人はたくさんいる。でも、「平均的な底上げ」を得意とし、「年相応の学び」を提供してきた学校教育は、そういう人間を伸ばせるシステムとはいえない。

──優れた大人のイメージは父親ですか。

印象的だったのは近所の大工の棟梁。その人のやっていることを見ていると、すごく格好いい。僕自身、自分用の大工道具一式を小学校に入る前には持っていた。父は仕事人としては一人前だが、学歴がないからNHKの音響技師に応募して断られたということもあったらしい。

本当に仕事ができる人間と学歴は関係がない。上手な手助けのシステムがあれば、人は勝手に育っていく。自分で自分の人生を作っていると実感できれば後悔もない。もちろん医学など大学に行かないと学べないことはたくさんある。だが、そこに行かないと研究できないのだから、それはほとんど職人仕事だとも言ってもいい。

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