学校教育では「本当にデキる」人間は育たない 基本を学ぶなら午前中だけ行けば十分だ

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──没頭できるものとの出合いが大切?

世の中、こういう枠組みがあるから、そこに入りなさい。その中で、点数取りの競争をして、それに向いているからと銘柄の大学に入って、それも末は博士か大臣かではなく大企業の課長止まり。今のリクルートシステムの主流はこう作られているが、教育はそんなつまらないものではない。

文学作品を読んで感動して、こういうものを書いてみたいと文学教室に入ってみる。いろんな人と出会い、切磋琢磨し合う。結局プロにはなれなくても、今でも自作に励んでいる。そうであれば人生に満足できる。文章ではなく、料理にはまってその世界に入っていってもいい。

本当の文化に出合い、そこで没頭する、凝ってみたいと高揚する。それこそが生きていくうえでのテーマなのだから頑張ってみる。そういうシステムがあったら、もっと面白く、アイデア豊かな人間が育つのでないか。

教育の本来の姿

──師を選べ、ともあります。

歴史的に見て強制的に勉強させたのは古代ギリシャのスパルタぐらいしかない。教育は学ぶ側が主体で、本来は先生を選んで始まる営みなのだ。中でも宗教家は皆そう。こういうものになりたい、こういう力を身に付けたいとの初心が学ぶ側にあって、師を選ぶ。これが教育の本来の姿だ。

今の学校は小学校、中学校とも勝手に割り振られる。この先生に学びたいと選んでいない。ただ社会や国家が先に立ち、必要な人材になれ、税金でやるから来させよとなってしまっている。もっとラディカルに考え直したほうがいい。

──授業は午前だけで十分とも。

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本来の教育は学ぶほうが優れた人や文化に出会い、あれをやってみたい、この人と語り合いたいと発起し、その取り組みを励ましていくことだ。今の教育は、基本的に指示に従って上手に点数を取れば安泰な人生が送れるとした「修練」に陥っている。指示からはみ出たやり方やオリジナルなやり方ができる人間はなかなか育たない。

最低限の読み書きそろばんは必要だとしても、それは学校の午前中だけで十分だ。午後は子どもがそれぞれ自分のやりたいことを見つけて、それを伸ばすことに専念する。そのやり方を学校が認めてくれないなら、その学校の存在意義は薄い。そうしたほうが、絶対面白い子が育つからだ。

特に、企業人に問いたい。経済のためと強制的に産業人予備軍を育てるサラリーマン養成学校のようなものが、本当にうまく機能しているかと。

塚田 紀史 東洋経済 記者

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つかだ のりふみ / Norifumi Tsukada

電気機器、金属製品などの業界を担当

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