「当時は体が小さくて、勉強もダメで、絵のほかに優位に立てることがなかったので、より絵に傾倒しがちでした」
小学校時代は、周りに比べて絵はもちろんうまかったのだが、優越感に浸ることはなかった。それどころか、むしろ劣等感を持っていたという。
「似顔絵をめちゃくちゃ面白く描く奴がいたんですよ。そいつの絵を見るとみんな『あひゃひゃひゃ!!』って笑うんです。自分の絵はモデルに似てるんだけどつまらない。クラスメートに頼まれて描いてあげて『似てるね』って褒められてもなんにも面白くないわけです。そいつの絵が描きたいけど、もう俺には描けないんですね。すでに途方もないセンスの距離があって」
見たままに絵が描けるのは、寺田さんにとっては当たり前のこと、普通のこと、だった。それより向こうに行かないと人は喜ばないんだ、と感じた。
「こんな絵しか描けないのか」が原動力に
「『自分の絵がつまらない』という思いはいまだにあるんです。依頼されて絵を描く立場からは傲慢でしかないから人前では言わないけど『こんなのしか描けないのか……』っていつも思っている。それが描く原動力のひとつになってますね」
幼少期に早くも、絵を描いて生きていこうと思ったが、当時は具体的な職業を知らなかった。絵を描く仕事は画家だと聞いて、「だったら画家で行こう!!」と思ったが、画家のイメージもボンヤリしていた。
小学校3年生のとき、自分で『週刊少年ジャンプ』を買った。そして、初めて漫画家という存在を意識した。
石川賢(『ゲッターロボ』など)や永井豪(『デビルマン』など)が好きで、小学校高学年からは古本屋を回って過去の作品にさかのぼっていくようになった。横山光輝(『三国志』など)や白土三平(『カムイ伝』など)が大好きだった。
漫画家になろうと思ったが、漫画家になるには、
「話を作らなきゃならない」「コマを割らなければならない」「枠線も引かなければならない」
とめんどくさい作業が山積みで、できるわけないと思った。プロはいい道具や魔法を持っているからできるに違いない。自分はもっと簡単な道に行きたい。
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