マラウィ、避難民35万人の厳しすぎる未来 イスラム武力衝突は現地に深い傷跡を残した

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テントをのぞくと、内部をシートで仕切って複数の家族が同居し、4.5畳見当のスペースに子供を含めて6~7人が寝るという。衣類や毛布の救援物資以外は何もない。「互いに助け合っているが、プライバシーが保たれないので、みなストレスがたまっている」(アンプアンさん)。

避難所には乳幼児や子供が多く、赤ん坊を抱いた若い母親が目立つ。生後3カ月の男児をあやしていたノミラ・ウランカヤさん(26歳)は「夫と一緒に3人の子供を連れて歩いて逃げてきましたが、身重で山道を下るのはつらかったです。8月末に避難所近くの病院で出産しましたが、ミルクがないので困っています。いつになったら家に帰れるのでしょうか」。

狭いテントで暮らす母子。支援物資の衣類や毛布以外は何もない(筆者撮影)

事件を引き起こしたイスラム過激派について尋ねると、避難民たちは口々に「彼らは同じイスラム教徒とはいえない。こんなことが起きるなんて誰も予期しなかったし、すぐに終わると思っていた。ごく一部の連中が私たちの暮らしも街も何もかも壊してしまった」と訴えた。

フィリピン社会福祉開発省(DSWD)によると、5月以降発生した避難民の総数は7万8466世帯・35万9680人、この半数近くがマラウィ市民である。

一部帰還も「将来に不安」

サギアラン町の避難所のように“evacuation centers”と呼ばれる政府公認の避難所は78カ所あるが、実は避難所にいるのは全体の1割足らずに留まる。9割超の7万0895世帯・33万5064人は、車で1時間余りの北ラナオ州イリガンなど都市部の親類宅に身を寄せたり、経済的な余裕があれば自前で部屋を借りたりしている。

一方で、そうした避難民への食料配給は早々に打ち切られたため、一時的に親類を頼った後、マラウィ周辺の避難所に移る例も多い。マラウィから10キロメートル余り離れた南ラナオ州バロイ町パカルンド地区には、イリガンから再移動してきた120世帯が72張りのテントに暮らしている。DSWDが砂利を敷いて整地し、電線も引かれているが、ジョワド・パカルンドさん(36歳)は「病気がちの両親と4人の子供を抱えて転々としている。地元の援助団体が親切にしてくれるが、テントの中は暑くて暑くて……」。

ところで、ニュース映像や写真だけを見ると、マラウィ全体が壊滅したかのように思うかもしれないが、直接影響を受けたのは市内98地区のうち33地区、ちょうど3分の1に限られる。市街戦は中心部から南東方面に移っていったため、市街西寄りは比較的早く安全が確保され、北西部にあるミンダナオ国立大学は8月末には授業を再開した。

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