マラウィ「イスラム過激派掃討」の恐ろしい話 ミンダナオ島現地取材でわかった市民の犠牲
フィリピン南部ミンダナオ島のマラウィで5月下旬に発生したイスラム過激派による大規模な武力衝突は、5カ月間に及ぶ政府軍の掃討作戦が完了し、10月23日にようやく終結宣言が出された。直後の10月25日に現地に入ると、激しい戦闘で約1200人が死亡した市街中心部は荒廃してゴーストタウンと化し、公表されない恐ろしい話が広がっていた。
銃撃戦の跡が生々しい過激派拠点
「見てくれ、ひどいありさまだろう? ここは(イスラム過激派の)マウテ・グループが借りていた家で、最初に銃撃戦が起きた場所なんだ」。マラウィ市街中心部の西寄りにあるバサック・マルル地区の住民、アガカド・カリさん(50歳)に案内された路地裏の鉄筋3階建て民家は、政府軍の攻撃で破壊され、路上には自動小銃の薬莢(やっきょう)が散乱していた。
「最初の銃声が聞こえたのは午前2時ごろ。けんかの発砲は珍しくないので気にもしなかったが、撃ち合いが激しくなって、家から一歩も出ずに家族と息を潜めていた。政府軍兵士が来て『マウテの拠点を攻撃している。早く避難しろ』と言うので、本当にびっくりしたよ」
ミンダナオ島南西部のイスラム地域バンサモロに属する南ラナオ州都マラウィで、地元のイスラム過激派マウテ・グループ、これと連携するミンダナオ南西沖スールー諸島のアブ・サヤフによる騒乱が発生したのは、5月23日のこと。外遊中だったロドリゴ・ドゥテルテ大統領は「わが国にIS(イスラム国)の勢力が侵入したのは明白だ」と述べ、ミンダナオ全島に即日、戒厳令(当初3カ月、後に年末まで延長)を布告した。事件の経緯は「戒厳令のミンダナオで起きている本当のこと」 を参照してほしい。
当初1カ月ほどで終結すると見られた掃討作戦は、過激派の“戦闘員”が政府軍の推計を超える人数に膨れ上がり、一般市民を人質に取るなどして抵抗したため、5カ月の長期戦になった。政府軍は早い段階で「戦闘員に外国人勢力が含まれている」と発表し、中東で支配地域を失いつつあるISIS(イラクとシリアのイスラム国)につながる“IS系勢力”が、ミンダナオ島に新たな拠点を構築しようとしたとして国際社会に衝撃を与え、日本でもそうした文脈の報道が目立った。
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