マラウィ、避難民35万人の厳しすぎる未来 イスラム武力衝突は現地に深い傷跡を残した

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戦闘で壊滅したマラウィ市街中心部の様子。復興への道は険しい(現地関係者撮影)

フィリピン南部ミンダナオ島のマラウィで5カ月間続いたイスラム過激派による武力衝突は、約1200人の死者を出して10月23日に終結した。

マラウィの北隣サギアラン町の小学校に設けられた避難所で暮らす避難民たち (筆者撮影)

しかし、人口約20万人のマラウィと周辺町村から戦闘を逃れて退避した避難民35万人の大半は、今も避難生活を余儀なくされている。

写真をみてもわかるように、マラウィ中心部は激しい戦闘によって破壊し尽くされている。その復興と避難民の帰還には数年かかる見通しで、日本を含む国際社会の支援がカギになりそうだ。

5カ月余りも狭いテントで生活

マラウィの北隣に位置するサギアラン町の小学校。大屋根に覆われた吹き抜けの集会場に、白色や青色のシートを継ぎはぎしたテントが密集して並び、65世帯500人近くの避難民が暮らしている。ほとんどが今も政府軍によって完全封鎖されている市街南東部の下町界隈の住民である。

避難所の一角で勉強やお絵描きをする子供たち(筆者撮影)

リーダー格の農民、ルマ・アンプアンさん(58)は「5月23日に戦闘が始まって5日後、政府軍に強制退去を命じられて、わずかな着替えだけ持って逃げてきました」と話す。

フィリピン政府や国連機関、国際赤十字、国内外のNGOが食料、衣料、毛布など救援物資を配付しているものの、「コメなどの食料配給は不足ぎみで、近くに市場はあっても現金を持っていないので何も買えません。家や畑は今頃どうなっているのか……」。

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