全ての人間関係の基礎に、親子の絆
野口英世博士の、あまりにも有名だった親子関係を思い出します。当時は小学校へ行くにも貧農には負担となる金額が必要でした。父親は博打と酒におぼれて家に寄り付きません。母親シカが畑仕事中に指がくっつく大ヤケドをした息子。シカはそれが自分のせいだと自身を責めます。
シカは勉強することだけが息子の生きる道だと思い、昼は畑仕事、夜は猪苗代湖でエビを釣って朝に売るという働きで学資を稼ぎ、英世を小学校に行かせます。イジメられて学校をさぼりがちな英世をみて、シカは言います。「つらいだろうが勉強をしなさい。途中でやめれば、今までの苦労が何もかも水の泡になる」。英世は学校へまじめに通うだけでなく、勉強にも猛発奮しました。モチベーションが明白になった瞬間でした。とても親を大切にされたそうです。
後に出世した英世に、字を習ったことのないシカが一生懸命勉強して、決してきれいな字ではありませんが、遠い異国で頑張る英世に送った真心のこもった手紙は、涙なしに読めるものではありません。
三浦綾子さんの『母』を読まれたことがおありでしょうか。
小林多喜二の母セキを描いた実話小説です。学資の工面に関しては詳しく知りませんが、それに象徴される「情」で多喜二を育てた人です。多喜二は母親を楽にさせたいために、20歳で北海道拓殖銀行の銀行員として働きます。多喜二に「親をみる知」はあったけれど、多喜二の正義感と時代が、その実行を不能にしています。感動的な小説で、私たちに家族の絆について多くを教えてくれています。
最後になりますが最近、映画「ベン・ハー」を随分久しぶりに再鑑賞しました。若い頃は、ローマの横暴とキリストの奇跡を描いた映画だという感想でしたが、同時に強い家族愛を描いた作品だということがわかりました。世の東西、時代を問わず、家族関係が今の私たちの社会ほど壊れている時代はなかったという感想です。
人間関係が方々で壊れているヒト社会では、ともすれば親の情を子離れしていないと揶揄したり、子が親を顧みないことを、「それが時代」と正当化する困った傾向がみられます。
「衣食足りて礼節を知る」といいますが、どの時代よりも衣食足りている時代に壊れていく親子関係や人間関係を、私たちはどのように受け止めるべきでしょうか。親子の情愛は、学ぶ以前にヒトの本性として備わっているはずのものであり、本来は先達に学んだり、動物社会に学んだりする性質のものではありませんが。
すべての人間関係の基礎となる親子の絆が、すべての人に大切にされる本来の社会に戻る日がくることを、願ってやみません。
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