司法書士に転身した近鉄ドラフト1位の軌跡 清原の「外れ1位」、桧山泰浩の異色キャリア

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はじめは、司法書士の勉強方法、傾向も対策もわからなかった。「自分で勉強するようになって、やっとどんな仕事かがわかりました。好きとか嫌いとか言える立場ではないから、スムーズに入れました。民事訴訟をしたり、登記関係をしたり、『こんな仕事もあるんか』というのが第一印象です」(桧山)。

司法書士試験の合格率は3%ほどだと言われている。桧山は2度目の挑戦で合格したが、働きながらの受験勉強は苦難の道だったことだろう。「みなさんにそう言われるんですが、そうではありません。私には野球界での苦労や挫折がありましたから、それに比べたら受験勉強なんか、屁みたいなもんでしたよ」と桧山は振り返った。

勉強はやればやるだけ結果が出る

司法書士の受験勉強は、ゼロからのスタート。競い合う相手もいない。ひたすら自分との勝負だ。

「自分が勉強すれば、1+1が2になる。2+1は3になりますよね。絶対にマイナスになることはありません。野球の場合は、1+1が2になるとは限らない。5になる可能性もあるけど、マイナスになることもある。いくらピッチャーがいいボールを投げても、バッターに打たれたらマイナスです。

少なくとも、私の野球人生はそんなことばかり。でも、勉強は、やればやるだけ結果が出ます。すぐに加点法だと気づきました」(桧山)

幸いなことに、桧山には学ぶための基礎があり、学習の方法も知っていた。中学時代に偏差値70だったという頭脳がここで生きたのだ。

「野球に限らず、スポーツの厳しさからすれば、受験勉強の大変さはどうってことはありません。私自身、試験勉強の経験がありますから、コツのようなものもわかるし、プレッシャーもありません。やればやるだけ実力がつくんだから。本当に受験勉強の苦労はありませんでした。野球界のほうが厳しかった。体力的にも精神的にも」(桧山)

知識がつけば面白さが増えていく。はじめの頃は薄かった仕事への興味もまた増した。

「私には合っていたんでしょう。勉強を始めてからは、ある意味、トントン拍子でした。この資格を取ってもお客さんが来なければ商売になりませんが、おかげさまで1年目から予想以上によかったですよ。29歳で合格したんですが、同世代のサラリーマンよりも収入はあったんじゃないでしょうか」と桧山は言う。

1997年に開業し、現在に至る。「開業してから、苦労という苦労はありません。うまくいった理由は何かわかりませんね。結果的にそうなっただけで。この仕事は紹介によって成り立っているので、プロ野球選手だったことも役に立っているでしょう。でも、もう誰にも野球選手だったと思われません。『ご出身は九州大学ですか?』とよく聞かれます(笑)」(桧山)。

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