――まずはアバのメンバーとの出会いを教えてください。
「1970年代初めにアバのバンドのギタリストと知り合いました。1975年、彼がアバとのツアーに参加しているとき、彼が私をメンバーに紹介してくれたのです。フリーダ(女性ボーカルの1人)と私はすぐに仲良くなりました。私は当時メークアップやコスチュームの仕事をしていたのですが、フリーダはそのことを知っていたので、その後、1977年のオーストラリアへのツアーで、バックステージでコスチュームを手伝ってほしいと誘われました。もちろん二つ返事で受け、1982年にアバが解散するまで仕事をしました」
実はイングマリーさん、1980年のアバの最初で最後の日本ツアーにもコスチューム担当として来日している。日本滞在中の3週間、とてもすばらしい時間を過ごし、帰国当日は帰りたくなくて泣いてしまったほどだったという。今でも日本料理、特に天ぷらが好きで、息子さんも日本に留学した経験があると話してくれた。
――アバ・ザ・ミュージアムの館長ということですが、現在、メンバーとのご関係は?
「ビヨルン(男性メンバー)とは彼がミュージアムの株主の1人であることもあり、頻繁に会いますね。ベニー(男性メンバー)とは夕食会や、知人の結婚式等で会います。アグネタ(女性ボーカル)とは電話でよく話しますし、来週夕食を一緒にします。フリーダとは彼女がストックホルムに帰ってきていたので、先週ランチをしました。とてもよい関係を保っていますし、彼らのような友人を持てることを光栄に思います」
アバとイングマリーさんが一緒に仕事をした時期は5年だが、その後30年以上にわたって、メンバー全員と公私ともに付き合いが続いているという。移り変わりの激しいミュージックビジネスの中、今でもコミュニケーションを欠かさずに会っているというその絆の強さに驚く。彼女が誰からも愛されるキャラクターだということをうかがい知ることができる話だ。
成功の秘訣は何だったのか
――アバ・ザ・ミュージアムには今1日に2000人もの人が訪れ、大盛況となっています。成功の秘訣は何だと思いますか?
「かつては『アバのミュージアムはどこにあるのですか?』と聞かれても存在しませんでした。だからこそ、立ち上げる決心をしたのです。
根底にはファンの人々がもっとアバの存在を知りたいという期待もあったのでしょう。実現する段階で日本の文化との共通点に気づきました。それはアナログでの情報発信と、テクノロジー、最新技術を使った発信。まさしくこれが成功への道だと思います。
誰もが何かを得られる。アバ・ファンではなくてもこの現象に興味を示し、スウェーデンからの音楽発信の成功にも興味を持つのではないでしょうか」
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