コンサル女子が退職→単身秋田で始めたこと 「隠れた果物王国」の魅力を知ってもらいたい

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大手金融機関を相手にITソリューションを提案していた頃は、いい服を着て、いい靴を履き、丸の内のオフィス街を颯爽と歩く自分が好きだったという。ただ、内心では正論をかざして仕事をしている自分にどこか気持ち悪さを感じたり、自ら事業を起こし荒波を乗り越えている起業家を前にすると、その凄みに圧倒されたりすることもあった。

矢野氏が秋田へ移住し起業することになったきっかけは、秋田で独り暮らししていた祖母の死だった。「小さい頃から季節のりんごや野菜をいっぱい詰めた箱を祖母が秋田から送ってくれるのを楽しみにしていた。大好きだった祖母が亡くなって、これで秋田との縁が切れてしまうのかと思うと寂しかった」(矢野氏)。

なぜ「日本酒」に行き着いたのか

秋田への思いをビジネスに変えるきっかけになったのが、2015年に秋田県主催のビジネスプランコンテスト「ドチャベン」。矢野氏はこのコンテストで金賞を受賞し、2016年5月に「株式会社秋田ことづくり」を設立した。ただ、当時のビジネスプランは秋田の果物のみを通販するプランで、日本酒の組み合わせという発想は入っていなかったという。

ビジネスプランを実現化するにあたり、「秋田の果物はおいしい、でも、それだけじゃ価値が弱い。これでは東京では勝負できない」と矢野氏は考えた。そこで、秋田の名産品をできるだけ多く付箋紙に書き、すべて裏返した。トランプの神経衰弱のように一つひとつ付箋紙をめくり、果物に掛け合わせるのにふさわしい、化学反応を起こす相手を探した。

「日本酒」と書かれた付箋紙をめくった時、果物との絶妙な相性に気づいた。

「果物と日本酒の組み合わせなら、勝負できる」と思った矢野氏は、東京の仕事と生活を捨て、2016年春、単身秋田に移住。秋田は大好きだったが、祖母もいない、住んだ経験もない。秋田の生活では必須である車の免許すら、持っていない状態だった。

「後ろのドアを閉めないと、前のドアが開かないと思った。会社を辞め、秋田のビジネスホテルに寝泊まりしながら起業の準備をしていた。会社を登記する前日の夜は、怖さと興奮でほぼ眠れなかった。ここまできたら絶対に一旗揚げなくては、と思った。だって私が戻る場所は東京にはもうないから」(矢野氏)

秋田に移住し、フルートリートに協力してくれる果物生産者と酒造を探し始めた矢野氏を待っていたのは、理想と現実のギャップだった。

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