腕がない世界的ホルン奏者が願っていること 「障害者の手本にはなれない」と語る彼の願い
最後に、本書から印象的なセンテンスを。以下は『僕はホルンを足で吹く』の原書と邦訳からそれぞれ抜粋した。
印象的なセンテンスを対訳で読む
●Wenn du etwas haben willst, arbeite dafür -- und wenn du es nicht bekommst, dann jammere nicht, sondern akzeptiere es.
(何かを得たいのであれば、そのために頑張りなさい――それが手に入らなくても、駄々をこねずにそれを受け入れなさい、ということだ)
――クリーザーの母の教育方針。両親には腕のない子供に特別プログラムを受けさせる考えはなかった。努力すること、何かのせいにしないこと、ありのままの自分で生きていくこと、というこの教育方針によって、同氏は他の子供と同様、「すべてを自分のやり方で学習しなくてはいけない」ということを学ぶ。
●Unangenehm wird es im Leben immer erst dann, wenn du etwas willst.
(何かを望んで、はじめて人生にはやっかいごとも生じてくる)
――クリーザーは16歳のときのインタビューでホルンを職業にすることについて問われ、同席していた先生に「趣味以上のものはない」と言われてしまう。これがターニングポイントとなってプロの奏者になることを決断し、そのための必死の努力が始まる。
●Dass ich ein normales Leben f'ühre, sollte mich nicht zum Vorbild machen. Denn nur wer sich selbst als normal betrachtet, kann auch von einer Gesellschaft verlangen, als normal betrachtet zu werden.
(僕は普通の生活を送っているんだから、障害者の手本にはなれない。自分自身が普通だと思っているし、社会からも普通だと見られたいんだ)
――クリーザーは「成功した障害者のモデル」という役を押し付けられることがある。彼は腕のない生活が大変なのは、腕のないことが原因ではなく、それを「普通」ではないとして際立たせようとする他人の存在が原因だと言う。彼の視点で見れば、腕のある人間が長い指を絡ませてペンを持つほうが不思議なのだ。
クリーザーのように「貪欲に完璧さを追求する」ことは簡単ではないかもしれない。それでも、目標達成に向かってストイックに努力するその生きざまは清々しく、自分は自分自身の人生に真摯に向き合っているだろうか、ということを問われる一冊である。
(文:植松なつみ ※編集・企画:トランネット)
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