腕がない世界的ホルン奏者が願っていること 「障害者の手本にはなれない」と語る彼の願い
1991年にドイツ中部のゲッティンゲンで生まれたクリーザーは、早すぎるという周囲の困惑をよそに4歳でホルンを始め、13歳でハノーファー音楽芸術大学のレッスンを受けるようになった。16歳で受けたインタビューがきっかけでプロになる決意をするが、そのためにはどうしても克服しなくてはならない課題があったという。生まれつき両腕がないことだ。
クリーザーにとって、足を使った演奏は「普通」のことである。しかしプロになるためにはホルンのベル(発音口)の中に右手を入れて演奏する必要があった。
「ナチュラルホルン」と呼ばれる当初のバルブのないホルンは、吹き込む息によってでしか音程を変えられず、「自然倍音」と呼ばれる音しか出すことができなかった。18世紀になるとベルの中に右手を入れて音程を調節する「ゲシュトップ奏法」が誕生し、半音階を出すことが可能になる。19世紀中頃になるとバルブによって音階を変える「バルブホルン」が登場するが、音色を変化させるために右手はベルの中に入れられたままだった。
クリーザーは数年をかけて奏法を工夫するが、「音色を見出すために信じられないほど練習した」と振り返っている。
読者は腕がないことを忘れ、人生に向き合う機会を得る
この本の魅力はなんといっても、クリーザーの妥協を許さない向上心とユーモアあふれる軽妙かつ強気な語り口だろう。インタビュー形式による自伝のため、ドイツ語の原文も生き生きとした話し言葉で記述されている箇所が多い。
隅々にまで目を配る緻密さ、あふれ出る自信とそれを支える努力、つねに高みを目指そうとする23歳(当時)の若者の姿勢は読者に強い印象を残すはずだ。一方で幼少期のエピソードや、アルバムデビューに関連して発生するハプニング、ピアニストのクリストフとの掛け合いからは魅力的な人柄を窺い知ることができる。
クリーザーは本書で、腕がないことを強調しようとする周囲の態度に対して不服を申し立てる。そのような周囲の対応は、ときに彼に失礼なことを強いることがあるのだ。
しかし、登場するエピソードや彼の語り口によって、読者はクリーザーに腕がないことを忘れ、クリーザーと共にデビューアルバムが無事に成功するのかという緊張感に包まれながら、自身の人生に向き合う姿勢を見つめ直す機会を得られる。