日本人の教養と、根深い西洋コンプレックス 山折哲雄×鷲田清一(その1)

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日本の教養には3つのフェーズがある

鷲田:今の時点から見ると、大正前後の教養主義やエリート主義は、すごくネガティブに語られる傾向があります。

鷲田清一(わしだ・きよかず)
哲学者
1949年生まれ。京都大学文学部哲学科卒業、同大学院文学研究科哲学専攻博士課程修了。関西大学、大阪大学で教授職を務め、現在は大谷大学教授。前大阪大学総長、大阪大学名誉教授。専攻は哲学・倫理学。『京都の平熱――哲学者の都市案内』『<ひと>の現象学』など著書多数

当時のエリートは、一方には、国家官僚になるような国家運営のエキスパートがいて、もう一方には、高等遊民のようなコスモポリタンを志向する的な文化人がいました。その人たちは、旧制高校時代から、デカンショ(デカルト、カント、ショーペンハウエル)などの哲学書や西洋文学を文系理系関係なしに読んでいて、こういう教養があることがエリートの条件みたいになっていました。

大正時代の教養主義的な教養というのは、戦後の教養とは全然違うし、江戸時代の人たちの素養ともまた違う。大正時代の教養というのは、西洋文化ですよね。ゲーテやカントがよく出てきますが、西洋文化がものすごく変異したものだというイメージがあります。

それから、教養主義以前の明治までは、漢籍を中心にした、文武両道の身体カルチャーがありました。声を出して素読したり、学ぶときの姿勢を鍛えたり、身体まで巻き込んだ人としての風格を作るものとしての素養、教養だったと思います。「習い事」というかたちでそれは養われました。

だから、日本の教養を考えるときには、ざっくり言うと3つぐらいのフェーズがあって、それぞれ教養の中身が違っています。これからの教養を考えるときには過去のこの3つの教養のうち、どれをどういうふうに復活させるのか、それとも、過去とは異なる第4フェーズの教養を考えるのか、そこの問題をまず整理しないといけません。

山折:私も同感です。たとえば、漱石、鴎外の教養というのは、決してイギリス文学やドイツ文学というわけではない。彼らの教養というのは、漢籍や儒学や詩を書く能力などに基づいています。

明治人が素読で体に身に付けた教養は、何か行動するときにいつもついてくる。ある精神的な危機や社会の危機や時代の危機に再会したときに、おのずと論語の言葉が出てくるという感じです。そういう身体化された教養を持ったうえで、漱石や鴎外は西洋に向かっていきました。その葛藤の中で、教養が練り直されていく、熟成していくというプロセスを経験した世代です。

ところが、白樺派以降は、完全に西洋のものを取り入れるという姿勢に変わるわけです。その代表が志賀直哉や武者小路。彼らが、日本的自然観や日本人のメンタリティを完全に失っているわけではないですが、前の世代に比べると乏しい。彼らは、西洋の教養を受容して、それを自分の身体(からだ)にしみ込ませる努力はしていますが、その基本になっているのが、日本の伝統的な文化や中国の伝統的な価値観だというわけではないですね。だから、もしかすると、日本人が西洋人になろうとする努力のひとつの表れだったのかもしれない。

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