腹の底からエネルギーが湧いてくる経験
山折:もうひとつエピソードを話しましょう。その講演会からまもなくして、仕事でワシントンに行きました。前々からワシントンに行ったら、スミソニアン博物館街の中にあるフリーア美術館に行ってみたいと思っていました。そこに、明治以降の日本の優れた芸術品が流出しているからです。
いざ訪れてみると、リンカーン記念堂や宇宙航空博物館には人があふれていましたが、フリーア美術館には10人ぐらいしかいませんでした。
中央1階の大広間に入ってみると、正面の壁面に2幅だけ絵が掲げられていました。1幅が、狩野芳崖(かのうほうがい)の『悲母観音像』。もう1幅が、橋本雅邦(はしもとがほう)の『寒山拾得図』。その絵の前に立ったときに、私は腹の底から何かエネルギーがふつふつと湧いてくるような気がしました。「ああ、これだ」と思いましたね。
鷲田:芳崖の絵は、どれくらいの大きさですか?
山折:ふすまひとつ分くらいです。でも、この2幅の絵はリンカーン記念堂に匹敵すると思いました。博物館には、アポロ16号やゼロ戦の現物も置いてありましたが、それに匹敵するぐらいの存在感がありました。
やっぱりこれは、岡倉天心やフェノロサの教育を受けて、絵描きになった人たちのいた時代だからこそ生まれた絵です。さらにさかのぼると、運慶という、もっとすごい人もいたわけです。そのあたりの話が、われわれの教養に必ずしもつながってはいなかった、ということを感じました。
鷲田:先生のお話は20年ぐらい前ということでしたが、そのさらに10年ほど前、日本企業は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われていましたよね。
山折:そのとおりですね。
鷲田:日本がエコノミックアニマルと言われた当時、日本の企業人は、コンプレックスどころか、横柄なぐらい自信を持っていましたよね。しかも、欧米のジャーナリズムも「終身雇用や家族的経営に代表される日本式経営はすごい」と尊敬していました。欧米側も決して日本を見下すのではなく、「俺たちが創ったレールを、俺たちよりうまく進んでいる」ということで脅威に感じていたのが、今から30年ほど前です。
当時の日本は、ビジネスシーンでは欧米としのぎを削ってやり合っていた。しかし、「教養がない」ので、晩になって社交の時間になったら……。
山折:ちゃんと話ができない。
鷲田:日本文化のことを聞いても、その歴史もよく知らず、自分の国のことを知らないので、相手と全然話が通じない。外国人にはそこを見透かされて、「何ていう浅薄な国文化なのだ」と思われた面もあるんでしょうね。
山折:それは、おそらく1人2人の問題ではなくて、戦後のいろんな知識人のあり方自体がそうなってしまっています。ただし、明治、大正、戦前の知識人はそうでなかったような気がします。
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