先日、元プロ野球選手の清原和博さんが、広陵高校(広島)の中村奨成捕手(3年)について、スポーツ新聞の取材に答えていました。清原さんは、1985年に一つの大会で5本という甲子園の本塁打の記録を打ち立てていて、今回、中村選手がそれを破るのではないかと期待が集まっていました(中村選手はこのインタビューが掲載された日に2本のホームランを放ち、通算6本として新記録を樹立)。
清原さんは、高校時代に甲子園でスターになり、プロ入り後も、西武ライオンズ、そして、読売ジャイアンツで主力選手として活躍しました。少年時代に祖父からは、「和博、日本一の男になれ。日本一の男になるんだぞ」と言い聞かされていたそうです。「大阪で一番になっても、しょせん大阪の一番。東京で一番になったら日本の一番や」。この時、清原さんが日本一の男として思い浮かべていたのが、東京の読売ジャイアンツで活躍する王貞治選手です。
華々しいプロ野球選手としての経歴を誇り、数億円の年俸を稼いで、まさに地位も名誉も手にして「勝者」となった清原さんですが、覚醒剤に手を出し、家族とも離れ離れになってしまいました。王さんと同じように、読売ジャイアンツのクリーンナップの一員になった時、彼の「夢」は叶ったのだと思いますが、そこで人生がドラマや映画のようにエンディングを迎えるわけではありません。頂点に達した後も、人は現実を生き続けていかなければならないのです。朔太郎さんの抱く挫折感の背景には、男だからという理由だけで、競争を強いられ続けられることの理不尽さがあります。「大成しなかった」と思う必要は全くありません。
自由だが孤独な都会と、安心だが不自由な地元
ここで、改めて「いつかいい人と結婚してくれたら」というご家族からのプレッシャーについて考えてみます。朔太郎さんは故郷に戻っただけではなく、実家に住んでいます。日々の生活の中で、独身であることを心配される以外に何かご不満はあるのでしょうか。地元で一人暮らしをしないのは、もしかすると介護などの必要があるのかもしれません。しかし、文面から察するには、小言を言えるぐらいには元気なご家族とそれなりに楽しく生活しているという印象を受けます。
東京で一人暮らしをしている時には、当然のことながら、家族にも地域にも縛られずに自由を満喫していたはずです。その一方で、都会暮らしでは――それは個人的な思い込みではなく、概ね事実な訳ですが――誰も自分このことを心配してくれないのではないかという不安に駆られます。東京のような都市が与えてくれる自由は、常に不安と隣り合わせです。
その一方、地元での暮らしでは、心配してくれる人はたくさんいます。ただ、その分不自由が多いのだと思います。「結婚するかしないかは、個人の自由」という発想がなく、東京と比べて結婚が早い。そして、40代にもなればほとんどが既婚者で、子どもがいるのでしょう。したがって、ご自身が的確に表現されているように、「結婚していない40代は、この地において変な人」になってしまうわけです。
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