ダメ新人から超一流シェフに成った男の半生 世界有数のミシュラン星付き店で輝く日本人

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――日本人初の、スー・シェフ(副料理長)に。

米澤氏:でも、大変だったのはここからでした。今まで同僚だった人間が、突然指示を出すわけですから、周囲はそう簡単に私の指示を聞いてくれません。周りの料理人たちが戸惑いを覚えるのは当然です。指示を出しても、「言っていることがわからない、理解できない」と、言葉がわからないフリをされていたんですね。何を話しても無視される毎日で、仕事にならない。だんだん、言葉を発することすら怖くなってしまって……。

今まで、どんなに大変な状況でも「辞めたい」と思ったことはありませんでしたが、この時ばかりはさすがに参ってしまいました。仕事に行くのが、はじめて「嫌」になり、日に日にやる気を失っていく……。そういう状況だった私を救ってくれたのは、同店のエグゼクティブ・シェフのひと言でした。

「君が今訴えている状況も含めて、僕は君の話を理解できないと思ったことは一度もない。“英語が話せない”のは、君の言い訳でしかない。理由は別のところにあるのだから、あとは周りを納得させるだけ。そのままの自分に自信を持って貫け!」と言ってくれたんです。

負のスパイラルの中で動けなくなっていた私でしたが、ようやく問題の本質が英語ではなく、自分の姿勢にあったことに気がつきました。そのひと言をきっかけに、自分の考えや行動をブレることなく伝え続けると、周りの状況も面白いほど変わっていきました。相手自身を変えることはできなくても、自分を変えることで、相手の反応も変わってくる。その姿勢こそが、人を動かす。それを示せるかどうかが、大きな差になることにようやく気づくことができました。

――置かれた状況を、“自分ごと”にしていく。

米澤氏:自分ごとにして、とにかく考えて行動する。「無視する奴が悪い」、「言うことをきかないのが悪い」と他人事にしてしまっては、いつまでも知識と経験は財産として残りません。自分ごとにして、はじめて知識と経験は、財産になると思います。そして何かに一生懸命になっていると周りが変わってきます。一生懸命、熱意を持って何かに取り組むというのは、人の心を動かす力を持っているんですよね。その行動が評価されるタイミングは、決まっていません。でも必ずその頑張りは評価され、自分にとって有益なものになると思います。自分ごとにして頑張ることで、絶対的な結果を勝ち取る。この繰り返しだと思います。

「再び日本で挑戦」ジャン・ジョルジュからの白羽の矢

米澤氏:憧れだったレストランでスー・シェフになるという目標も達成し、日本に帰って学んだことを存分に活かそうと考えていた頃、ちょうどニューヨーク・コンセプトのレストラン「57 FIFTY SEVEN」が開店することになり、同店のグランドシェフとして働くことになりました。そうして、お世話になった「Jean-Georges」に別れを告げ、2007年日本に帰国しました。

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