「人は誘惑に弱い」と知るイスラム教の不倫観 リビドーはコントロールできるのか

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確かにイスラム教草創期、戦乱で多く生じた寡婦や孤児を救済するという面で一夫多妻は意味がありました。ただ、コーランでは複数の妻を公平に扱うよう求めており、男性が金銭的、物質的だけでなく、内面においても2人以上の女性を公平に扱えることはあり得ないことを理由に、一夫多妻制に関するコーランの記述を実践するのは事実上不可能との法的解釈も存在します。

一夫多妻制をめぐるこんな話もあります。海外に赴いたビジネスマンが、現地の女性や風俗にはまってしまうというのは、特に東南アジアや中国ではよくある話。中国に商品の買い付け出張に出掛けるアラブ商人たちの間でも、宗教的なタブーよりも欲求が勝る形で、現地の女性と一夜限りの関係を結ぶことが少なくないそうです。

ところが、私の知人の1人は、タブーは犯したくないとして、第1夫人を説得して、なんと現地の中国人女性を第2夫人として迎えることに。現地に自宅も購入して出張の際には、そこで暮らしているというのです。ともすると宗教を悪用しているようにも見えますが、イスラム教徒の知人たちの多くは「宗教的に認められているので問題ないのではないか。宗教的なタブーを犯すよりはましだ」と考えているようです。

「女性は自宅にいるときこそ、魅力を高めよ」

一方、女性について言えば、イスラム教では女性の魅力である肌や髪を隠すというのも戒律の一つ。リビドーを持つ男性の特性を理解してのことでしょう。ロンドンに住んでいた頃、近くのモスクでこんな講話を聞いたことがあります。

「最近の(イスラム教の)ご婦人方は外出する時にばっちり化粧してめかし込んでいるが本来は逆だ。自宅にいる時こそ、旦那のために魅力を高めて、外出する際には華美に飾り立てるのは避けるべきである」。

多くの女性は男性を誘惑するために化粧やおしゃれをしているわけではないのでしょうが、女性の行動を諭すところにイスラム教の本質を見た気がしました。実際、エジプトに住んでいた時の借家のオーナーは妻2人を持つ内科医でした。それぞれの妻は別々に家が与えられていて、この医師は週2日ずつ、教えどおりに平等にそれぞれの妻と過ごすのを習慣にしていました。

アパートの共有スペースのバルコニーを挟んで自宅がある第2夫人は、普段は外出する時は化粧気がないのですが、医師が来る日は朝から部屋の掃除に余念がなく、午後にはバッチリ化粧をして華やかな装いに変身していました。しかし、こうした第2夫人の努力も虚しく、第1夫人の嫉妬心に手を焼いた医師は第2夫人と離婚し、多妻婚は破局を迎えました。一夫多妻制に苦しむ女性は少なくありません。

サウジアラビアで女性の運転を禁止したり、男女共学が制限されたりしているのも、こうした制限を緩和すれば、男女が出会う機会が増えてタブーにつながりかねないというイスラム聖職者らの危惧が背景にあります。ところが、フェイスブックなどバーチャルな世界で男女が出会う機会も増えていて、伝統的な価値観も揺らいでいます。IT時代にどう対応していくべきなのかという難題を突き付けられているわけです。

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