「経済は成長しなければならない」は正しいか 「ル・モンド紙」論説委員が語る21世紀の危機
すなわち、われわれが物質的な成長から遠ざかるのは認める。しかしながら、われわれは(心理的、非物質的な)幸福の新たな時代に身を投じる努力をするだろうか。要するに、経済成長のない進歩という考えが廃れたわけではない、とわれわれは確信できるだろうか、という論考だ。
理想を壊したポスト工業社会
進歩という考えに大きな誤解が生じたのである。というのは、18世紀の啓蒙思想は、進歩という考えから自律や自由などの道徳的な価値観をつくり出し、アンシャン・レジームの事なかれ主義を批判する意味合いを、進歩という考えに付与したからだ。19世紀のヨーロッパに広まった産業革命により、その理想は物質的な進歩を約束することになった。
産業革命は、この約束を果たすために社会を組織したが、それは啓蒙思想の価値観と根本的に反する社会だった。技術者たちは聖職者たちを隅に追いやったが、工業社会になっても、世の中は階級社会のままだった。家庭や工場においても、階級的な社会構造が支配的だったのである。
20世紀、工業界のモデルだったフォーディズム(大量生産を可能にした生産システム)は、それまでのピラミッド型組織を維持した。私生活の分野では、フランスの女性が(夫の)許可なく銀行口座を開設できるようになったのは、なんと1965年のことだ。フランス革命から200年近くの間、フランスの女性は、自分自身に関して法的効力をもつほとんどの行為において、夫の支配下にあった。多くの社会層の人々と同様に、女性にとって自律や自由の謳歌は、長年にわたって名目上のことだったのである。
そうした農村社会の最後の名残が消え去ったのはつい最近のことであり、それはここ数十年の話だ。労働者たちはモノ(農産物や工業製品)ではなく、大量の情報を加工するようになった。社会学者ロナルド・イングルハートの論証に従えば、構造的な価値として独創性が権威に取って代わったのである。
イングルハートによると、啓蒙思想がようやく日の目を見たのだという。つまり、教育の普及や福祉の充実により、国民は迷信と決別し、貧窮から脱したのだ……。
だが残念なことに、イングルハートもケインズと同じ過ちを犯した。イングルハートは、われわれは生活必需品に拘束されないポスト物質社会に移行しつつあると述べたのだ。ポスト工業社会は、寛容な精神にあふれる安心できる世の中をつくり出すどころか、実際は、正反対の世界を生み出した。すなわち、ポスト工業社会では経済的な不安定さが育まれ、人々は将来に不安を抱くようになった。理想を高めるはずだったポスト工業社会は、理想を壊したのだ。
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