「経済は成長しなければならない」は正しいか 「ル・モンド紙」論説委員が語る21世紀の危機

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工業社会は、生産方法と社会保障を封建社会に(時間をかけて)はめ込んだ……。今日、新たなデジタル経済では、「コストゼロ」という破壊的な生産モデルが整った。チェス、株式取引、チケット販売など、必要とされる知的レベルにかかわらず、ルーティン化された作業は、価格の安いソフトウエアが行うようになった。グーグル社はコンピュータに自動車を運転させた。日本ではロボットが高齢者を介護する。

繰り返しをともなう作業はいずれソフトウエアが代行すると予想されるため、人々の間の緊張感はこれまでになく高まっている。法律家であり精神分析家のピエール・ルジャンドルの考察を踏襲すると、全財産を失ったのにこれを認めようとせず借金まみれになっている世帯が存在するように、現代人の暮らしに「精神的な余裕はない」のだ。

デジタル革命が経済成長をもたらさない理由

デジタル社会には奇妙なパラドックスが宿っている。科学技術が大いに発展すると思われていたのに、経済成長は期待外れに終わったのである。アメリカでは過去30年間、国民の90%の購買力は上昇しなかった。ヨーロッパでは同時期に、1人当たりの所得の平均増加率は、3%から1.5%へ、そして0.5%に低下した。

われわれは、「経済成長なき産業革命」という語義矛盾を体験したのだ。この驚くべき状況をどのように理解すればよいのか。デジタル革命が1世紀前の電気革命と同様の経済成長の加速をもたらさないのは、なぜなのか。

第1の説明は労働側にある。高度経済成長をもたらすには、人間の代わりに高性能の機械を導入するだけでは十分でない。高性能の機械によって雇用を奪われた人々の生産性が向上しなければならないのだ。

20世紀には、農村部を追われた農民たちが大きな成長の見込まれる産業に就職したため、高度経済成長が実現した。今日、持続的な経済成長を再現するには、たとえば庭師の手仕事が工業化するだけではだめなのだ。持続的な経済成長を望むのなら、庭師は栽培する花の量および質(?)を高める方法を学ぶ必要があるのだ(庭師の労働生産性が向上しなければならない)。

第2の説明は次のとおりだ。工業社会は、国民を都市に住まわせるという大きな役割を果たした。ところが、ポスト工業社会は工業社会のような野心的な役割を担おうとしない。

ポスト工業社会は、社会的相互作用(カーシェアリング、デートの相手探し、社会的な交流など)をうまく管理したり、公害(騒音、環境危機)を減らしたり、テレビのチャンネルを増やしたりすることに力を傾注している。

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