哲学者が薦める「いい人」に嫌われる生き方 信念は傷を負うから価値がある!

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さて、「自分がいい人だと信じている人」にも、さまざまな変種があります。文字どおり素朴に信じている人は、ただ人間として鈍いだけですので害が少なく、しかもほとんどいないのではないかと思われます。では、残りは?

「いい人だと信じている人」は技巧で固められている

さまざまな「技巧」によって固められた信念を持った人なのであり、私はその技巧が見透かされてとても嫌なのです。そうした技巧には、1.何らかのとてつもなくつらい体験を経て、(宗教的あるいはそれに近い信念によって)そう思い込むことに救いを見いだそうとする技巧、2.それほど劇的な体験に基づいているわけではないが、人生のある段階でそう思い込むととてもラクであることを悟り、そう思い込むことに決めてしまうという技巧、3.自分は多くの他人から「いい人ではない」と思われているようだが、どう考えてもやはり自分は「いい人である」と思い込むという技巧、4.自分が多くの他人から「いい人である」と言われ、自分でもそう思い、この線を維持しようとする技巧――など多彩です。

もっともっと分類できるかもしれませんが、このくらいにしましょう。こういう「いい人」の諸変種は私の周囲にうじゃうじゃいましたし、今でもいます。もちろん、具体的な場合はこれらのタイプがミックスし、交錯し合っています。

1と2の間にもさまざまなグレードがあり、3と4の間にもさまざまな濃淡があります。たとえば、自分は「いい人」ではないのだが、どうも他人に「いい人」と思われているようで心苦しいと言い続ける技巧(よって、悪ぶってもすぐにばれてしまうことを悩みながら安心するという技巧)、自分ははとても「いい人」なのに、他人から「いい人ではない」と誤解されるというつらさを抱えていると思い込む技巧……。

そして、1と2と4が絡み合った次のようなとても困った「いい人」が地上に出現します。彼らは(女性に多いようですが)、絶えず他人から「いい人である」と言われ続けなければならず、周囲の他人もみんな「いい人」でないと落ち着かない。しかし、世の中そうはいかないので、何かの拍子に「あの人はいい人ではない」という評判を聞きつけるや否や、深く落ち込み平静を保てなくなる。しかし、「いい人」はその人を責めてはならないのだから、自分に気がつかない欠陥があるのであろう。こうして、自分を責めて責めて責めまくり、ついには生きる気力を失う場合さえあります。

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