あきらめない平成起業家の世界を変える"旅" 新世代リーダー trippiece CEO 石田 言行

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一方で、石田はいじめられるような自分が嫌いだった。自分を克服したい。何かに自信を持ちたい。石田少年は悩み考えた。そして、行き着いたのが自分のルーツ。「本当に憎しみ合いがあったら、僕は生まれなかった」。今でこそ日本と米国間での国際結婚は珍しいことではないが、太平洋戦争で米国と日本が激しくぶつかり合った直後、それも祖母は被爆者だ。当時は、なかなか大変なことだったであろうことは想像に難くない。

自分を認め、生かしていく

「自分の血縁は自分では変えられない。だけど、ある意味それはいちばん強いアイデンティティになる」。自分には、戦争で起こった憎しみ合いや、人種、宗教、皮膚、目の色の違いなどの障害を乗り越え、理解し合い、共に生きていく関係をつくった祖父母の血が流れている。その自分という存在を認め、生かしていくことで、今の時代にも起こっている戦争をはじめとする問題に対して、何かできるのではないか――。

石田少年の思いは、大学生になって具現化に向かう。石田は大学1年のとき、途上国支援の学生団体「うのあんいっち」(現在はNPO法人)の活動に取り組み始めた。そして、途上国を訪れ、子どもと触れ合う中で、さまざまな差別や貧困の現状を目の当たりにする。

一方で、各地を訪れる中でいろいろな国の人々と話すことは楽しかった。「NGOやNPOの方々のように、貧困問題そのものが僕の情熱につながっているわけではありません。問題の解決うんぬんというよりも、僕は友達関係を作っていきたいんです」。互いに何かを「される」「してあげる」という関係性ではなく、世界中でフラットな関係を築いていきたい。

こうした思いがトリッピースという「ビジネス」へとつながったきっかけも、また、旅だった。大学在学時に自分で企画した「うのあんいっち」のバングラデシュへのスタディツアー。貧困国の現状を目の当たりにしたい、そんな思いからツイッターなどのSNSで知り合いに呼びかけたところ、たちまち18人の参加者が集まった。これを旅行会社に持ちこんでツアーとして実施。マイクロファイナンスで知られるグラミン銀行のムハマド・ユヌス氏との面会も実現するなど、充実した旅となった。トリッピースが提唱する旅の原型だったといえる。

「旅のいいところはいろんな国に友人を作れるところ。みんなが旅に出ることで、いろんな人たちがつながってくれればいいなと思うんです。みんなが世界中に友人関係を作れれば、今よりちょっといい世界になるんじゃないかな」。もともと、中学生時代から、自分で携帯サイトを作ったり、オークションを活用したりと、ビジネスへの関心が高かった石田は「旅で起業する」と決め、動き出す。

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