孫正義・柳井正も憧れたレイ・クロックの真実 映画「ファウンダー」が描くマクドナルド物語
舞台は、1954年の米国カリフォルニア州にある小さな町、サンバーナディーノで物語は始まる。52歳のレイ・クロックはシェイクミキサーのセールスマン。
鬱々とした気持ちで中西部の町を車で巡回していたある日、ドライブインレストランから一度に6台のオーダーが入る。発注先に電話をすると、さらに2台の追加注文が入った。
全米にマクドナルドを!
電話口の向こうからは、その店がとてもにぎわっている様子が伝わってくる。どんな店なのだろう。なぜ大量のミキサーが必要になったのだろうか。興味を抱いたレイ・クロックは、カリフォルニアの小さな町に向かう。
そこで見たのは、マクドナルド兄弟(ディック&マック)が経営するハンバーガー店の“McDonald’s”だった。カウンターの前には長蛇の列ができているのに、注文から30秒で熱々のおいしいハンバーガーが提供されている。床はピカピカ、食べ物の値段は安い。
その晩、レイ・クロックはマクドナルド兄弟を食事に誘う。どのような発想から、合理的な流れ作業のシステムを完成させたのか。ハンバーガー(15セント)とポテト(10セント)とミルクシェイク(20セント)の3点だけに商品を絞り込んだのはどうしてなのか。
2人の話を聞いて、その革新的な事業コンセプトに将来性を見いだしたレイ・クロックは、とてつもないフランチャイズビジネスを構想する。全米に3000店舗のハンバーガーショップを一気呵成に出店する。
マクドナルド兄弟は、初めはフランチャイズ展開になかなか同意しなかった。急速なビジネスの拡大でハンバーガーの品質とクイックなサービスが劣化することを恐れたからだ。
兄弟と粘り強く交渉した結果、とうとう契約書にサインさせることに成功したレイ・クロックは、友人たちを説得して次々にFC契約を交わしていく。ところが、店舗数が増えるに従って、レイ・クロックとマクドナルド兄弟の対立が深まっていく。
というのは、ビジネスを急速に拡大したいレイ・クロックと、堅実に事業を運営したいマクドナルド兄弟とでは、そもそもビジネスに対する基本姿勢が違っていたからである。
9州に13店舗まで事業が順調に拡大したとき、自宅を担保に入れても足りないほどの資金難に陥る。原因は、FC契約の内容とビジネスモデルにあった。ハンバーガーを売っても、レイ・クロックが受け取れる利益は売り上げの1.4%でしかない。
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