45歳で逝った「奇跡の投手」を支えた妻の献身 盛田幸妃が送った壮絶なプロ野球人生の裏側
倫子さんは、できることは人の手を借りず、積極的に看病した。身の回りの世話だけでなく、マーサッジも、率先して続ける。手術から1週間後、ようやく右手で食事ができるようになった。すると幸妃さんは、前向きな気持ちを徐々に取り戻し、リハビリを開始する。
その回復ぶりは、目を見張るものがあった。なんと手術から7カ月後、チームに合流。復活に向け、プロ野球選手としての体づくりを始められるほどだった。この驚異の回復は、間違いなく、倫子さんの献身的な支えがあってこそ実現したものだった。
そして大手術からわずか1年。幸妃さんは1軍のマウンドに復帰する。復活の日、スタンドに駆け付けた倫子さん。幸妃さんの前では、絶対に流さないと決めた涙がこのときばかりは、止まらなかった。
幸妃さんも、天を見上げ、万感の思いをかみしめていた。421日ぶりの、ピッチング。その初球は、渾身のストレート。幸妃さんは、再び野球ができる喜びをボールに乗せ、投げ続けた。そして、バッターを追い込み、決め球は伝家の宝刀、シュートで見事三振を切って取った。2人目のバッターには、フォアボール。全10球を投げたところで、マウンドを下りた。
ファンは、奇跡の復帰を果たした幸妃さんに惜しみない拍手を贈り、夫婦には心からの笑顔が戻った。2年後の2001年には復帰後初勝利をあげ、シーズン通して34試合に登板。中継ぎとして、本格的な復活を果たした。
この年は、スター選手が顔をそろえるオールスターゲームにも出場し、幸妃さんが登板すると、大歓声が上がった。そして、近鉄バファローズは12年ぶりのリーグ優勝を果たし、幸妃さんはカムバック賞を受賞した。
大手術からわずか3年で果たした復活劇は、奇跡とたたえられたが、幸妃さんは2002年10月6日、32歳の若さで現役を引退する。壮絶な苦難を乗り越えてきた、幸妃さんだからこその決断だった。
苦難を乗り越え現役を引退、しかし・・・
夫婦の戦いは終わらなかった。引退から3年後、脳腫瘍が再発する。その後、10年にわたり転移が進み、手術を繰り返し、2014年には「余命1年」と宣告されてしまう。
幸妃さんは「妻と最期の時間を過ごしたい」と自宅へ戻った。当時は倫子さんに対して、こんな言葉をよく口にしたそうだ。
「お前は1人でも生きていけるから、1人で頑張れ」
その言葉に対し、倫子さんは夫を安心させようと、「私はたくましいから、どこでも1人で生きていける。だから心配しないで大丈夫だよ」と答えた。
脳腫瘍を患ってから17年後の2015年10月16日、幸妃さんは、静かに眠りについた。45歳という若さだった。自宅療養を始めて1年後。夫が最期を迎えるとき、倫子さんは、こう言った。
「ありがとうね。幸せだったよ」
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