サントリー「セクハラ動画」炎上は防げたか 「失敗の本質」と「再発防止策」を考える

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一方でサントリー「頂」動画の問題はもっと根深い。端的に言えば、女性が男性(の性欲)にとって都合の良い道具として描かれる、という問題である。つまり、前の3例が「女性応援の意図」は悪くないのに「応援すべき状況の描き方」が問題とされたのに対し、サントリーの場合、そもそも「意図」の段階で女性の扱いがおかしかった、といえる。

筆者は15年以上、出版社にいたので、表現物が作られる過程は理解している。ポイントは2つあり、①どんなテーマを、②どのような素材・描き方で取り上げるか、である。通常、②は組織内で綿密に議論される。自分たちが使う媒体で、そのような表現を使うことが適切なのか、問題になるからだ。

たとえば筆者の直接体験だけでも、出自や年齢などの差別にあたるような表現を、自分でチェックして直したり、上司のチェックで直したりしたことがある。社外の制作者に対して、何が差別や不快表現にあたるのか、説明し理解を得るため遠くまで赴いたこともあった。

そこで、異論を唱えたりストップをかけるのは、時に私(当時20~30代の女性)だったり、上司(30~40代の男女)だったりした。これはおかしい、と思えば、性別・年齢関係なく意見を言うのは当然だったし、それが自分たちの仕事だと思っていた。雑誌の発行部数というのは数万~数十万部で必ずしも多くないかもしれないが、さまざまな角度から注意して見ていた。

よりたくさんの顧客を相手にする消費財メーカーが、どういうメカニズムであのような酷い動画を公開してしまったのか、理解に苦しむ。女性絡みの動画炎上では、よく「チームに女性がいなかったのでは」とか「○○社は男性ばかりだから」という批判を目にする。確かに女性が少ないことは、ひとつの問題である。ただ、性別だけが問題とも思えない。

これは「マネジメントの問題」だ

少なくとも、問題となったサントリーの動画については、男性からも「おかしい」「ありえない」という声が上がっている。中には「男性の妄想/夢を描いている」とか「目くじら立てるほうがおかしい」という擁護意見もあるが、それに対しては「男性が皆、こういうふうに考えていると思われたくない」という反論も出ている。

だから問題の本質は、検討の過程に「女性が少なかったかもしれない」ことではなく「男女問わず異論をはさめなかった」もしくは「異論を検討する体制がなかった」ことだろう。つまりこれは、マネジメントの問題である。企業が不特定多数向けにコンテンツを発信する際、どの段階で誰が見て了承を出すのか。事前のチェック体制が第一に問題となる。

こうしたテーマで記事を書いていると、企業の方から「ご相談」を受けることがしばしばある。ある時は、企業の内部で進行しているPR・マーケティングプランについて、リスクや疑問を感じている方から「困っている」という話を聞いた。

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