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新選組「強さの秘訣」は結局、何だったのか? 教科書が教えない「剣と規律」以外の真因は

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  • 山岸 良二 歴史家・昭和女子大学講師・東邦大学付属東邦中高等学校非常勤講師
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今回も、よく聞かれる質問に答える形で、解説しましょう。

「いまの京都」があるのは新選組のおかげ?

Q1. 新選組とは何ですか?

幕末の動乱期に活躍した佐幕派グループのひとつです。

江戸時代末期、14代将軍家茂の上洛にともない、警護要員として身分を問わず集められた「浪士組」が前身で、その後、京都に残留した芹沢鴨、近藤勇らが「壬生浪士隊」を結成し、京都守護職の松平容保(かたもり・会津藩主)が預かったのが始まりです。

「新選組」の名は、彼らの活躍に対して、後に御所から命名されたものです(容保からの命名という説もあり)。幕府滅亡後も、戊辰戦争で旧幕府軍の一員として最後まで戦いました。

Q2. 新選組はどのくらいの規模だったのですか?

時期によって人数は変動しています。壬生浪士隊の発足当初は24人ほどでしたが、断続的に人員を募集し、新選組となったときで約70人です。

その後も戦死、粛清、脱走、分離などで人員が減る一方、補充・増員を繰り返し、最盛期には200人超が在籍したともいわれています。

Q3. 実際どんな活躍をしたのですか?

「京都が灰燼(かいじん)に帰する最大の危機」を未然に防ぎました。

1864年(元治元年)6月5日夜、新選組は京都三条小橋の旅館池田屋にて、尊皇攘夷派志士を襲撃しました。いわゆる「池田屋事件」で、尊攘派9人が死亡、23人が逮捕されました。

このとき、志士らは「京都の町を焼き、その混乱に乗じて松平容保らを暗殺、天皇を長州に移す」という計画を実行に移す寸前でした。「今日の京都があるのは、新選組のおかげ」といっても過言ではありません。

Q4. 新選組は尊攘派から、どのように見られていたのですか?

非常に恐れられていました。

池田屋事件をはじめとして、尊攘派は新選組により多くの同志を殺害、逮捕され、そのために「明治維新が数年遅れた」ともいわれています。

また、同年の「禁門の変」においても新選組は未曾有の活躍で長州軍を圧倒し、その精強さを内外に知らしめました。新選組の存在は、尊攘派にとって「最大の脅威」であり「仇」でした。

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【新選組の「5つの強さ」とは?】

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