新選組「強さの秘訣」は結局、何だったのか? 教科書が教えない「剣と規律」以外の真因は
Q11. その天然理心流が「新選組の強さ」にどう影響したというのですか?
それは「流派の持つ特徴」を見るとわかります。前述した「強さの秘訣」にもつながりますが、大きくは次の2つでしょう。
剣術は、現代の剣道とはまったく別の「格闘術」で、剣はもとより、脇差、短刀を用いた近接戦闘や、居合抜きが含まれます。
天然理心流は、剣術のほか柔術、棒術が体系に組み込まれており、いわば完全に実戦に特化した「総合格闘術」といえるでしょう。
天然理心流では、創始者、近藤長裕の理念のもと、入門は身分・肩書を問わず、他流派の剣術家も食客として道場に受け入れて互いに技を磨き合うなど、「平等」と「合理主義」とを第一とした名門流派にはない柔軟な道場運営が行われました。
後に新選組の幹部となる山南敬助、永倉新八、原田左之助、藤堂平助らは、このときの食客として天然理心流を訪れていた人々でした。また、稽古プログラムも「武士」だけでなく「農民」「町民」誰もが理解できるよう組み立てられていました。
「千変万化臨機応変」の体現こそ、強さの秘密
新選組結成後、局長となった近藤勇は、これまでの経験を生かして、「身分を問わない人材登用」や「実力主義の人員配置」を行い、さらにより強い軍団となるべく銃や大砲の導入を行いました。
屯所での稽古は、各人が積み上げてきたスキルを尊重し、自らの天然理心流さえ強要することもせず、流派の別なく実力者を剣術、柔術、砲術等の各指導者に抜擢しました。
そうして互いの長所を吸収し合った結果、「禁門の変」のような大きな合戦でも活躍できる強い組織へと、新選組は成長を遂げたのです。
近藤勇が隊を組織するうえで実践した「天然理心流の極意」とされる「千変万化臨機応変」の体現、そして彼らの「実戦剣法」こそ、新選組が強かった「最大の秘訣」といえるでしょう。
大政奉還の陰で、多くの尊い人命が失われました。そのひとり、近藤勇も今年で百五十回忌を迎えました。
歴史ほど「面白いドラマ」はありません。この機会に、彼らが熱く駆け抜けた時代をもう一度学び直してみてください。
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