新選組「強さの秘訣」は結局、何だったのか? 教科書が教えない「剣と規律」以外の真因は
Q7. 天然理心流とは何ですか?
江戸時代後期の寛政年間(1789年~1800年)に、近藤長裕によって創始された剣術流派です。
新選組局長の近藤勇は、この流派の後継者(4代目)でもあったため、土方歳三や沖田総司ら多くの門下生が新選組に参加しました。
当時は「無名」だった天然理心流
Q8. 天然理心流は「メジャーな流派」だったのですか?
いいえ、あまり広く知られてはいませんでした。
江戸時代は戦争がない平和な時代でしたが、武士のたしなみとして剣術はさかんで、18世紀の時点で大小100以上の流派が乱立していました。
なかでも人気だったのは、後に「幕末江戸三大道場」と呼ばれる「北辰一刀流(玄武館)」「鏡新明智流(士学館)」「神道無念流(練兵館)」等です。
天然理心流は当初、江戸中心部の両国薬研堀(やげんぼり・東京都中央区東日本橋)に本道場を構えていたものの、郊外の支道場(多摩地域)でやや支持された程度でした。
Q9. 剣術としてのレベルは、どのくらいだったのですか?
かなり高かったと思われます。
創始者の近藤長裕は天然理心流を創始する以前、生涯無敗の剣豪として名高い塚原卜伝(ぼくでん)の鹿島新当流を学んでおり、天然理心流はその影響を強く受けていたと思われます。
実際、精強で知られる八王子千人同心に、天然理心流から幕臣として何人も仕官していたことも証拠のひとつです。
Q10. 近藤勇は「宗家」を誰に継ぐ予定だったのですか?
「沖田総司」を選ぶつもりだったようです。
新選組が絶頂期を迎えていた1865年(慶応元年)、彼が江戸の道場関係者に送った手紙の中に、「(天然理心流は)沖田へ継がせたいと思います。まだ他の人には言わないでください」と明記しており、将来的な構想を描いていた様子がうかがえます。しかし、沖田はその後病に倒れ、1868年に死去しました。
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