新選組「強さの秘訣」は結局、何だったのか? 教科書が教えない「剣と規律」以外の真因は

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Q5. そもそも「新選組の強さの秘訣」とは何でしょう?

具体的な例を挙げるとすれば、以下のとおりです。

「剣」だけじゃない! 新選組の強さ

【1】「精鋭の集団」だった

言うまでもなく、新選組は武術に秀でた猛者の集団です。局長の近藤勇は天然理心流の宗家でもあり、沖田総司ら隊士の多くが彼の直弟子でした。

ほかにも斎藤一や永倉新八といった、いずれも彼らに勝るとも劣らぬ剣士ぞろいで、柔術、槍術、砲術、軍学等を修めた人材もおり、「誰が最強だったのか」という議論はいまも尽きません。

【2】「厳しい規律」があった

新選組には厳しいルールが定められ、違反があった場合は「切腹」でした。

実際、鳥羽伏見の戦いまでの新選組の死者数は、任務中の戦死者よりも規律違反によるもののほうがはるかに多いほどでした。

ただし、新選組が隊士を恐怖で縛りつけていたというよりも、武士のみが許された「切腹」を罰則に掲げることで、農民出身の隊士たちにも武士としての自覚を持たせることに主眼が置かれていたようにも思われます。

【3】「多様な武術・流派」が集まっていた

新選組は各地から集まった人々で結成されたグループのため、それぞれが異なる特技を持っていました。

剣術にしても、近藤勇や沖田総司らの天然理心流のほかに、北辰一刀流、神道無念流などが混在し、柔術、槍術、砲術、軍学等を修めた達人も多くいました。

隊ではこれらの人々を稽古時に師範として部門ごとに抜擢し、隊士同士が各武術・流派の長所を吸収し合うことで個人のスキルアップをはかりました。

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