大相撲「同部屋対戦」を行わない深すぎる理由 「稀勢の里」と「高安」兄弟弟子である事の意味
高安と稀勢の里の間にも、まさにそうした関係があてはまる。平成17年3月、高安が田子ノ浦部屋の前身の鳴戸部屋に入門した時、3歳上の稀勢の里はすでに幕内にいた。入門前に相撲経験のまったくない高安と比べ、実力差は天と地ほどもある。思い切りぶつかってもびくともしない。それでもあきらめず、ひたすら挑み続ける。そんな日々の積み重ねの先に、大関の座をつかみ取ったのだ。
相撲には、「同じ部屋の力士同士は対戦しない」というルールがある。部屋の稽古場では、おそらく何千回、何万回と相撲を取っている稀勢の里と高安。だが、本場所の土俵で対戦したことはただの1度もない。このルールが、すべての部屋のすべての力士に対して適用されているのだ。唯一の例外は優勝決定戦である。
本場所で対戦しないからこそ、虚心なく稽古できる
もしもこのルールがなかったらどうなるだろう。勝ち越しや負け越しのかかった大切な勝負で、同部屋の力士同士が対戦したとする。いくら仲間とはいえ、どちらが勝ったとしても後味の悪さが残るだろう。稽古場でも、次の対戦のことを考えて、手の内を隠すようになるかもしれない。
本場所で対戦しないという前提があるからこそ、同じ屋根の下で寝泊まりし、同じ釜の飯を食いながら、毎日の稽古で虚心なくぶつかり合い、絆を深められるのだ。
稀勢の里と高安の場合には、そんな絆をいっそう深める背景があった。2人の先代師匠である元横綱隆の里の鳴戸親方(故人)の教えだ。
相撲の世界では、より強い稽古相手を求め、ほかの部屋に出向いて稽古することを「出稽古」という。千代の富士は、若手の頃、大の苦手としていた琴風のいる佐渡ケ嶽部屋への出稽古を繰り返して克服し、逆に「お得意さん」にして、大関、横綱へと駆け上がった。このように、出稽古が力をつけるためには効果的な手段であることは間違いない。
ところが、元隆の里の先代師匠は、出稽古を認めなかった。理由は「なれあいを防ぐ」ため。本場所の土俵で全力を出し切り、相手を倒すためには、本場所で対戦する他部屋の力士とは付き合いを避けるべき、というのが親方の信念だった。出稽古もそのきっかけとなりかねないと考えたのだ。
だから、稀勢の里と高安は、自分たちの部屋の土俵で、ひたすら稽古を重ねた。最近は、ときには出稽古にも行くようにはなったが、あくまでもメインは部屋での稽古だ。
以前は、こうした姿勢に批判の声が少なくなかった。稀勢の里が実力的に高安より明らかに上である時期が長かったことから、「稀勢の里にとっては稽古にならない」と言われ続けた。あと一歩で優勝や横綱を逃し続ける原因の一つともされた。高安自身、稀勢の里に対して申し訳ないという気持ちになったこともあったという。
しかし、やがて高安が力をつけ、互角近くにわたりあえるようになった。最近では高安が勝ち越す日もある。稀勢の里にとっても、高安は十分に手ごたえのある稽古相手となったのだ。
今年初場所、念願の初優勝を遂げ、横綱に昇進したとき、稀勢の里は「高安のおかげ」と口にした。そして、追い掛けるように高安も大関の座をつかんだ。先代の教えを胸に、部屋の絆を深め続けたことが、臥薪嘗胆の時を経て、大きな飛躍につながったのだ。
しかし、一方で「同じ部屋の力士同士は対戦しない」というルールは、事あるごとに批判の対象ともなってきた。取組編成に不公平が生じるからだ。
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