終戦記念日に、安倍首相が話すべきこと アウシュヴィッツで考える麻生発言(下)

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終戦記念日、安倍首相は何を話すべきか?

安倍首相は来たる終戦記念日、一体どのようなメッセージを日本や国際社会に向けて打ち出して歴史を総括し、戦争の教訓を打ち出すのだろう。

首相はよく“国を護るために戦地で散った英霊に祈りを”と演説するが、望んでいない戦争に扇動されて駆り立てられ、命を落とした自国民、侵略の軍靴に踏みにじられたアジアの女性たちにも年に一度、国全体で祈りを捧げるようにはできないだろうか。これを願っているのは日本国内にも大勢いるはずだ。

安倍氏が終戦記念日の談話でこれらに触れれば(私は、安倍氏が戦略的に不本意ながらも、賢ければ触れるのではないか、と思っているのだが)、どれだけ安倍氏に対する各国からの警戒と不信が解けるだろう。

それとも今後も“自虐史観”という怪物を創り出し、教科書から人間の残酷な本性をえぐりだした戦争の教訓が消し去られていき、自国内の一部の支持者の願望だけを慰める“自慰史観”とでもよぶべき歴史修正主義が、歴史教育の現場で跋扈することになるのだろうか。

それをすれば、長期的に成功しないのみならず、いつまでも諸外国から批判され、諸外国でも感情的に反日が高まり、反日的議員を周辺国に増やすことになるのが目に見えている。

井の中の“自慰史観”から飛び出せ

安倍政権による歴史認識修正の試みは、自国の一部のコミニュティにしか通用しない歴史観なのだから、まさに相手なき“歴史的自慰史観”ではないか。またお抱え学者を集めて“学者の判断に任せる”と逃げるのも、自分がやりたいことを学者を隠れ蓑にして実行しているように思える。ちなみに韓国の一部議員が場所と時と相手をかまわず感情的に抗議するのも、これもまた悲しい自己満足行為で、相手に伝わるものは反感以外のナニモノでもない。

私は安倍氏にも、またこの一部の韓国の議員にも申し上げたいが、井の中の奥底からジャンプして、外の世界に触れてほしい。そして未来の子供たちが近隣諸国を含めた国際社会と信頼醸成して交流するのを助けるような、井の外の世界を子供たちが学ぶ権利を奪わないでほしい。

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