藤田観光は、なぜ「小涌園」を再開発するのか 創業地「箱根」から始まるリゾート事業の攻勢

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

藤田観光は企業の会議や国際的な学会など、MICE(Meeting、Incentive Travel、Convention、Exhibitionの略)需要に対応するため、宴会場の改修を進めているが、同社の瀬川章社長は「今後も婚礼の落ち込みは止められない。将来的には大阪や京都にホテルを開業し、(ホテル数を増やして)事業そのものを大きくして落ち込みを和らげるしかない」と語る。

瀬川章社長は、1977年にみずほ銀行(当時、日本興業銀行)の出身。同社執行役員や、DOWAホールディングスの取締役を経て、2012年に藤田観光の副社長に就任。2013年から社長を務める(撮影:今井康一)

藤田観光は「ホテルフジタ京都」(1970年~2011年)、「京都国際ホテル」(1961年~2014年)などの施設運営を終了してきた。

その後、フジタ京都の跡地は「ザ・リッツ・カールトン京都」になり、国際ホテルの跡地では三井不動産がホテルを建設中とされるなど、ライバルにお株を奪われたという手痛い経験がある。

2015年に公表した中期経営計画では、2014年に13億円だった経常利益を、2019年には48億円に増やすことを掲げている。

箱根の再開発が高級ホテル建設の原資に

同社が重視する減価償却負担前の営業利益(概念的にはEBITDAに近い)は同59.9億円から120億円まで倍増させる目算だ。

これはビジネスホテルや小涌園でキャッシュを稼ぎ、体力をつけたうえで、ラグジュアリー&バンケット事業のテコ入れに向けた次の開発を「自力で行う」(瀬川社長)決意の表れでもある。

果たして、藤田観光はラグジュアリー&バンケット事業を復活させることができるのか。開発を進めるためには、リゾート事業の旗艦である天悠、そして今後の箱根小涌園の再開発の成功が欠かせない。

松浦 大 東洋経済 記者

著者をフォローすると、最新記事をメールでお知らせします。右上のボタンからフォローください。

まつうら ひろし / Hiroshi Matsuura

明治大学、同大学院を経て、2009年に入社。記者としてはいろいろ担当して、今はソフトウェアやサイバーセキュリティなどを担当(多分)。編集は『業界地図』がメイン。妻と娘、息子、オウムと暮らす。2020年に育休を約8カ月取った。

この著者の記事一覧はこちら
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

関連記事
トピックボードAD
ビジネスの人気記事