リピート率トップ!星のや軽井沢の「非日常」 星野リゾート創業の地で見た、旅館イノベーション

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棚田でバーを始めた理由

――開業当初から今まで、それまでのやり方への反省とか、改善した点などはありましたか。

私どもは毎日毎日チェックアウトされるお客様に顧客満足度調査のお願いをしています。たとえば料理にしても、スパにしても、アクティビティ(催事など体験)にしても、客室にしても、お客様からのご要望で私どものコンセプトに沿っていることに関しては、細かな修正は毎年どころか日々加えています。

水路がみごとな棚田。夜はバーをオープンして「夕涼みに1杯」も楽しめる

開業から大きな変化はおそらくないと思いますが、たとえばお料理の提供時間をちょっと変えたりとか、融通を利かせたりしています。77室あると、満室の場合150~160人のお客様がいます。ダイニングにそこまでのキャパはないですから、施設内での食事は2回転するときもあります。

そういった場合にお待ちいただくスペースが、開業当初はライブラリーラウンジしかありませんでした。今でしたら、たとえば夏場なら夕涼みを兼ねてビールとか、お野菜とか、夏らしいかき氷などを提供して時間を過ごしていただくことができます。

今年は、食前・食後の両方に使っていただけるように、棚田でバー営業をしたりとか、お客様が時間を持て余さないような方法論は、毎年毎年何かしら付け加わっております。

軽井沢を知るからこそ、提供できる価値

――日本の江戸時代だか安土桃山時代だかわかりませんが、全盛期の旅館も当時の市民の暮らしやニーズにぴったり合っていたのでしょうね。

そうでしょうね。昔の旅館は街道沿いなら翌日は旅立つので、一日中過ごすことはなかったでしょうが、逗留とか、温泉だと湯治といいますが、冬の間とか、夏の農閑期に1カ月ぐらい過ごすような使い方はされていたと思います。電気がないから、夜明けと共に起きて、温泉に入っておしゃべりして、日暮れと共に寝るといったスタイルだったと思います。江戸時代にやれている身分の人はそうとう少ないでしょう。

私たちは昭和のことしかわかりませんが、戦後の高度成長期からライフスタイルが激変して、海外に出て行く人もでてきて、国内旅行も増えていったのですが、そのときに自分たちがやりたいようにできた人は少なかった。

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