そして、一人ひとりと対面で話をし、思いを受け止めつつ、なぜこの施策を推進するのか丁寧に話したつもりでした。でも、「すっきりしました」と言って帰る人はほとんどいなかったですねぇ。みな口をそろえて、「自己責任で長時間働いている。その権利はあるはずだ。誰にも迷惑をかけていない」と言うのです。私の言うことなんてきれいごとに聞こえたのかもしれません。力不足だったと思います。
大事なのは「成果」
あれから経験を積んできて思うのは、「長い時間働く」ことと「たっぷり働く」ということは違う、ということです。いちばん大事なことは、「成果」です。だから、時間をかければ成果が出せるようになったのなら、もっと短い時間でそれ以上の成果が出せるようにする。そのスキルはとてもとても貴重な力で、磨き続けるべきスキルなのだと思います。時間で成果を補てんするような働き方をする人は、もうすでにハイパフォーマーではありません。「業績が上がっている人」ではあっても、考えてみると、昔から「仕事ができる人」ではなかったかもしれないとも思います。もちろん私も含めて、です。
「タフだよねぇ」などと言われて、忙しさ自慢する人なんて、今も昔も心の中で笑われていたのだろうと思います。「自己責任で長く働く」なんて、はた迷惑な話なのです。働く人たちの心身の健康に心を配り、継続的に最大成果を目指していこうとする企業の営みにおいて、そんな勝手な働き方を指向する人はリスク分子になるわけです。また、周囲もそれに巻き込まれて、いい迷惑になっているかもしれません。
私が「仕事ができるなぁ」と思ってきた人たちは、確かにいつでも仕事のことを考えている節はあって、仕事が好きで仕方ないように見えましたが、ずっとPCに向かい続けたり、早朝から深夜まで誰かと打ち合わせしていたり、といったことはまったくありませんでした。
ある人は、「もう集中力がもたないから」と言いながら、定時でとっとと帰宅してしまったものでした。彼は私に、「人の倍働いて倍成長するのではなく、人の半分の時間で倍成長するスキルを磨き続けなさい」とよく言っていました。そのためには、業務に取り組んでいない時間帯に、どのように自分の心身をメンテナンスするか、ということも必要かもしれないですし、学びを得る時間にあてたり、人と会って刺激を得たり、人としての力を磨いていかなければならない。彼と打ち合わせをすると、実に多くの引き出しを持ち、次々に惜しげもなく知恵を提供してくれて、感激したものです。
本当に力のある人は、確かにたっぷり仕事をしているのだけれど、長い時間を目の前の業務にはあてていないのかもしれません。もっというと、時間で成果を補てんすることより、半分の時間で同じ成果を出すことのほうがずっと難易度が高くてチャレンジングなことだとも思います。もしかすると、先の例であげた彼女の言葉は、「人の倍働いてきた」ということではなくて、「人の倍の生産性で働いてきた」という自負だったのかもしれません。当時の私には正しく理解ができなかったのではないか、と思えてならないのです。
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