「電球」の奥深さをどこまで知っていますか この蘊蓄100章は思わず人に話したくなる

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41. 1887年、藤岡はまず産業に使用可能な電力体系を整備するため「東京電燈(現東京電力)」の設立を指導

42. 電力供給の基礎ができ、鹿鳴館に白熱電球が灯るが、それらはすべて米国やドイツ製の高価な輸入品だった

43. 白熱電球の国産化を目指す藤岡は教職を離れ、1889年東京・京橋の東京電燈の社宅で研究をスタートする

44. 翌90年には同郷の三吉正一とともに東京・京橋槍屋町に電球製造会社「白熱舎」(東芝の前身)を設立した

45. エジソンが竹を使ったと聞いた藤岡は、京都の竹と同じ苗を持つ故郷・岩国の錦川一帯に生える真竹に注目

46. 錦川一帯に生える千石原の真竹にさらなる特長を発見した藤岡はこの真竹をフィラメント素材に採用する

47. 1890年8月12日、完成した炭素フィラメントに電流を通すと見事に発光。日本初の国産白熱電球が誕生した

48. このとき藤岡が製造した竹フィラメントの炭素電球は12個。点灯寿命は2時間だったと記録されている

49. 白熱電球の国産化に成功したものの、当時の生産量は一日わずか10~15個。月産300個が限界であった

外国電球に負けぬ品質に

50. 藤岡率いる白熱舎は研究を重ね、1893年には月産2500個を達成。1897年には外国電球に負けぬ品質に向上する

51. 当初は高価だったが、徐々に市民も日常生活における白熱電球の利便性を認識し、国内に広まっていく

52. 1921年、当時白熱舎のスタッフだった三浦順一が「二重コイル電球」を開発する

ヴィンテージの白熱電球(Anton Gvozdikov / PIXTA)

53. 「二重コイル電球」は、タングステンの単一コイルをもう一度らせん状にして二重コイルにしたもの

54. この発明はエジソンの実用炭素電球と並び「世界の電球6大発明」のひとつに数えられている

55. 6大発明には1910年に米国GE社のクーリッジによるタングステンフィラメントの「引線タングステン電球」

56. 同じく米国GE社のラングミュアーが1913年に発明し、電球寿命を著しく伸ばした「ガス入り電球」

57. 1925年に白熱舎の不破橘三が開発し、電球の明るさを向上した上にまぶしさを軽減した「内面つや消し電球」

58. そして1959年に米国のズブラーが発明した小型で効率のよい「ハロゲン電球」が挙げられる

59. 20世紀に入り電球と人気を二分するようになった「蛍光灯」もまた米国GE社によって1938年に発明された

60. 蛍光灯は電気エネルギーの光への転換効率が良いことが特長で、白熱電球より少量の電力で同量の光を放つ

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