「日本はもちろん、海外にもいます。ニューヨークのある公園では、『ask a puppet』という屋台を出している女性がいる。人生相談をするの。すると、女性ではなく、腹話術みたいにpuppet(人形)が回答してくれる。無料です。無料で振る舞うことに人々が少しずつ喜びを見つけ始めていると思う」(同)
若い建築家なども、最近屋台を作りたがる人が多いけど、なぜでしょうね。
「屋台は公共をつくれる。屋台があることで人と話すきっかけができやすい。私も最初はもっと小さいテーブルみたいなもので始めたんだけど、それだとうまくいかない。やっぱり小さくても屋台らしい形があることが重要。そうすると行き交う人々が、あ、屋台だと認知できる。すると、そこで何かやってるんだなとか、店主と話せるんだなと直感できる。今の私の屋台はそういう視点で設計してあるの」(同)
意外に深い屋台。
「だから、単に建築学生が屋台を作ったっていうだけのものはだめ。他者との関係を誘発するような仕掛けが設計されていないとね」(同)
あの隈研吾が、神楽坂の空き地に出した屋台
建築家の隈研吾さんも、東京・神楽坂の空き地に屋台のようなものを作った(トップ画像)。正確にはトレーラーハウス(正式名称は「モバイルハウス 住箱 −JYUBAKO−」)。その空き地は隈さんがシェアハウスを造るために買ってあった土地だが、施工費高騰のために着工を保留中。だったら、ということでトレーラーハウスを作ったのだという。
キャンプなどに使うトレーラーハウスの下の車輪と土台部分だけを買って、その上に2.4×6mの木製の箱を置いて、中をワインバーにした。普段は、ステーキとホットドックとワインを出す店の営業をしている。隈研吾さんの息子、太一さんは、内装と企画を担当し、不定期でイベントも行っている。取材当日もちょうど、ワインと出しを楽しむイベントを行っていた。今は神楽坂に出店しているが、いずれ別の場所に移動する予定だ。
しかし、新国立競技場まで設計する「世界の隈研吾」がなぜこんな移動式のお店を出すのか。
「リアリティが欲しいんだな、みんな。建築の世界でいえば、昔は建築家が屋台を作るなんてありえないというのが常識だった。大学を出て、個人住宅を設計して、それから公共建築とかをやり出すっていうコースがあってね。でも、今はそういうのがなくなった。何をやってもいいわけ。だから若い建築家は安心して屋台を作れる。そのほうがリアリティがあるから、みんなやりたがる。
実は昔の建築家も、都市の現実に向かい合え!なんて言っていたんだ。でも言うだけで、実際は何もしないし、できなかった。商売なんてできないし、商売を下に見ていた。それが今は、建築家でも実際に都市の中で現実に向かい合うようになってきたんだろうね。それはつまり、リアリティを求めているということであり、既存の偉そうな建築への本質的な批判を含んでいるんだ。でも、若い建築家くらいだと論理で批判を展開する文章力はないから。そこのところは三浦さんがやったら?(笑)」(研吾さん)
仕事が1つ増えた。
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